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四国遍路のあゆみ(平成12年度)

1 庶民遍路へのみち

 前節において、四国遍路は、鎌倉時代にその原型が認められ、僧侶、とくに真言宗系僧侶の修行手段として行われていたが、弘法大師の聖地巡礼としての性格から、弘法大師の超宗派的信仰に基づき、やがて真言宗以外の僧侶の参加を見るようになったこと、この風はやがて釈門より俗界に広まり、室町時代後期には、俗人の遍路もわずかながら見られるようになり、それも四国内のみならず、山城・越前等の遠隔地からも認められるようになったことが、明らかにされた。しかし、遍路そのものの数は江戸時代に入ってもまだわずかであった。これについて新城常三氏は、「中世末には、俗家の遍路の数は、僧侶遍路を越えるものではなく、いまだ僧侶社会内部の宗教的修行の色彩が濃厚であったようである。これは、遍路がいまだそれほどの数でないことを暗示するが、その状態は江戸時代に入っても、なおしばらくは継続したもののようである。(①)」と述べ、江戸時代初期にはまだ遍路者が少数であるとしている。