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四国遍路のあゆみ(平成12年度)

3 昭和の戦時体制下における遍路

 いわゆる昭和恐慌により国民経済が疲弊していくなか、昭和6年(1931年)の柳条湖事件をきっかけに日中両国間に戦闘が起こり、ついに満州事変が勃発(ぼっぱつ)した。 15年間に及ぶ長い戦争の時代が始まったのである。
 前述した昭和12年の大阪における四国八十八ヶ所の出開帳の終了後、協力者の一人である大阪のある寺の住職が寄せた感想の一節に、次のようなくだりがある。「時恰も支那事變の勃發を見まして此の一大信仰運動が一段と意義を深くし今や正に我皇軍の忠勇なる将士が北支に上海に勇戦奮闘せられ國民全般に銃後の務めを勵み精神國防の叫ばるゝ時に際し益々斯くの如き行事の盛ならんことを祈る次第であります。(①)」(一大信仰運動とは出開帳をさしている)この文章においては、純粋な宗教行事であるべき出開帳の意義が、中国での戦闘行為における「勇戦奮闘」や国内における「精神國防」の発揚に置き換わっている。しかし当時、特にこの住職が突出した軍国主義者であったようにも思えない。国全体が戦争に向かって突っ走った時代だったのである。事実、6月16日に出開帳が終了して1か月も経たない7月7日には盧溝橋事件が起こり、先が見えない泥沼の日中戦争は拡大していった。
 こういう激しい時代の流れの中で、四国遍路はどうなっていったのかを見ていきたい。