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四国遍路のあゆみ(平成12年度)

1 真念-四国遍路を庶民の世界へ-

 四国遍路が一般庶民の間に広まったのは江戸時代になってからといわれる。その功労者の一人に真念がいる。その真念の出自や活動については「ほとんど皆目といってよいほど明らかでない。」と真野俊和氏は言う(②)。ただ、真念の著作(『四国邊路道指南(みちしるべ)』・『四国徧礼功徳記(へんろくどくき)』)や、真念たちが資料を提供して寂本が著した『四国礼霊場記』の叙(序文)や跋(ばつ)(後書き)によって、その行業の一端が浮かびあがってくるとして、真野氏は次のように述べている。

   たとえば『霊場記』の叙をみれば、著者寂本は、「茲に真念といふ者有り。抖擻の桑門也。四国遍路すること、十数回」
  と讃え、また『功徳記』の践辞でも木峰中宜なる人物が、「真念はもとより頭陀の身なり。麻の衣やうやく肩をかくして余
  長なく、一鉢しばしば空しく、たゝ大師につかへ奉らんとふかく誓ひ、遍礼(へんろ)せる事二十余度に及べり」と記してい
  る。あるいはまた『功徳記』の下巻で「某もとより人により人にはむ、抖擻の身」とみずから書くように、彼は頭陀行を専
  らとする僧であり、なかでも弘法大師に帰依するところきわめて深く、四国八十八ヶ所の大師の霊跡を十数回ないしは二十
  数回も回るほどの篤信の遊行僧だった。あるいは高野山の学僧寂本や奥の院護摩堂の本樹軒洪卓らとのつながりから推して
  高野聖の一人だったと解してもよいだろう(③)。

 また真野俊和氏は「真念の宗教活動」として次の3点を取り上げている(④)。

   ① 真言僧或いは高野聖としての頭陀抖藪(ずだとそう)行(衣食住に対する欲望を払いのける修行)の側面
   ② 四国巡拝という行為を通し、四国霊場においていかに善行をなすかという、化他行(けたぎょう)(他人のために尽く
    す)の側面
   ③ 勧進活動の側面

 喜代吉榮徳氏は真念の業績として次の3点を挙げている(⑤)。

   ① 遍礼屋(へんろや)・善根宿(ぜんごんやど)の開設普及
   ② 標石の設置(およそ二百余基)
   ③ 遍路関係書の出版(三部作)

 ここではこうした彼の業績やそこからうかがえる真念という人物について整理してみたい。