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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業10-西条市-(平成28年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

寄稿「壬生川の昔のくらしについて」

愛媛県立西条高等学校 H・Ⅰ

1 はじめに
  私たちがこの聞き取りを行った理由は、自分たちが住む町についてもっと深く知り、昔(昭和の時代)の人々のくらし方か
 ら学びとったことを、私たちの世代を含めてたくさんの人に伝承したいと思ったからだ。

2 テーマの設定
  そこで、三津屋本通り商店街で製氷店を営んでいたEさんにお願いをし、当時のくらしの特色や工夫、私たちが住んでいる
 町の昔の様子などについて教えていただいた。
  具体的には、①氷の活用法と製氷店の仕事、②生活の特色、③私たちが住んでいる町の様子、についてお話を伺った。

3 氷の活用法
  氷は冷蔵庫での保冷やかき氷に使用されていた。冷蔵庫については、一般の家庭のものと旅館や飲食店のものとの違いにつ
 いても教えていただいた。商店で使われていた冷蔵庫でも、大きさは私たちが使っているものと同じくらいであったそうだ。
 また、一般の家庭では、風邪をひいて熱が出たときに使えるように、氷を箱に入れて空気に触れないようにし、溶けにくくな
 るような工夫がされていたそうだ。

4 製氷店の仕事
  氷はとても需要が多く、特に7月から8月の夏の時期によく売れたそうだ。特に商店がたくさん購入していたので、一般の
 家庭の人々は氷を分けてもらうことが難しかったそうだ。
  Eさんの店では作った氷を周桑地区へ配達していた。夏場は気温が高く氷が溶けやすいので、少しでも早く配達できるよう
 にリヤカーではなく車で氷を運んでいた。また、氷を溶けにくくするために、日光が氷に当たらないようにシートをかけて配
 達をするなどの工夫をしていたそうだ。ただ、配達をしたときに氷が多少溶けていても、お客さんからの苦情が出ることはな
 かったらしい。それくらい夏場は氷の需要が多かった。
  この地域には喫茶店の数が少なく、さらに冬の間にはかき氷を売る店がないため、氷の需要が少なくなり、夏場に比べると
 製氷の仕事が少なかった。そのため、冬場は冷蔵庫がない一般の家庭の食材を貯氷庫で預かり、代わりに保冷することが主な
 仕事だった。特に、フキなどの食材や缶詰をよく保冷していたそうだ。

5 生活の特色
  生活の特色では、家庭の状況や家電が普及してきた状況について知ることができた。家庭では、幼い子どもがいたら女性は
 仕事をやめざるを得ない環境だった。どうしても仕事を続けなければならない場合は、知人に子どもを預けるなどして生活を
 保っていたらしい。
  また、既製品の服があまり売られていなかったので、女性が夜中に繕った衣類を着用することが多かった。学校の制服など
 も布地を材料に、各家庭で一から作っていたそうである。
  家電製品については、洗濯機、炊飯器、掃除機という順で家庭に普及し、使われるようになっていった。洗濯機が家庭に入
 るまでは、たらいや洗濯板を使って素手で洗濯をしていたので、洗った後に水を最後まで絞りきれず、毎日の洗濯は大変だっ
 たそうだ。
  お風呂に使う水は、主に地下水をくみ上げて使っていた。当時は風呂釜の下から薪で沸かす五右衛門風呂で、大変温かくて
 体が芯から温まり、風呂から出た後でもすぐには体が冷えなかったそうだ。

6 私たちが住んでいる町の様子
  私たちが住んでいる壬生川には港があり、物資の集積地として発達していた。また、漁業や農業、林業などの幅広い分野の
 産業があった。農家では豚の飼育頭数を増やしたり、鶏に卵を産ませたりして必要な食料を自給することができていたそう
 だ。