データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業11-鬼北町-(平成28年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第3節 農村工業の導入と人々のくらし

 旧広見(ひろみ)町(現鬼北(きほく)町)の工業は、従来立地条件に恵まれず、昭和14年(1939年)に近永(ちかなが)に進出した国営近永酒精工場を除けば、地域生産物の加工工場の域を出ない小規模なものがあるにすぎなかった。かつて、この地域は旧野村(のむら)町(現西予(せいよ)市)とともに本県製糸業の中心であり、小松(こまつ)に北宇和(きたうわ)蚕糸販売農業協同組合連合会(北宇和蚕糸)とその製糸工場があった。昭和6年(1931年)の愛三製糸の操業以来、製糸工場は長らくこの地域の産業を支えてきたが、養蚕業の衰退や生糸価格の低落により、平成6年(1994年)に操業を停止した。
 また、昭和46年(1971年)に制定された農村地域工業導入促進法に基づき、同47年(1972年)、愛媛県は最初の「愛媛県農村地域工業導入計画」を策定し、旧広見町でも、「広見地区農村工業導入実施計画」を定め、行政主導の企業誘致が始まった。こうした計画によって、広島研磨工業株式会社広見工場や真鍋電器工業株式会社広見工場、サンコー電機株式会社などの企業が進出し、当時、これらの企業は地元の経済活動の拡大に寄与するとともに、農村における雇用機会創出の原動力となった。その後、経営不振により倒産・撤退した企業もみられるが、町による工業用地の整備等を含めた地道な企業誘致は、旧日吉村との合併により鬼北町となった現在も続けられている。
 本節では、旧広見町の産業を支えてきた北宇和蚕糸の製糸工場について、Aさん(昭和8年生まれ)、Bさん(昭和16年生まれ)から、昭和40年代以降の旧広見町への企業進出及び企業誘致について、Cさん(昭和23年生まれ)から、それぞれ話を聞いた。