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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業12-松前町ー(平成29年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第2節 鉄道と人々のくらし

 伊予鉄道郡中線は、明治29年(1896年)に藤原(ふじわら)(伊予鉄道外側駅と隣接)-郡中(ぐんちゅう)間で開業した南予鉄道が、明治33年(1900年)に伊予鉄道と合併したことにより誕生した。
 大正14年(1925年)には、高浜線の軌間を3ft6in(1,067mm)の複線に、横河原、森松の両線を1,067mmに拡張することが決められたが、郡中線だけは2ft6in(762mm)のまま据え置かれた。しかし、沿線での工場誘致による旅客数の増加が見込まれ、軌間拡張の必要が生じたことから、昭和12年(1937年)には他の路線と同じ1,067mmに拡張され、さらに、昭和14年(1939年)には約600m延伸された路線に郡中港駅が開業し、予讃本線南郡中駅(現伊予市駅)との連帯運輸が実現した。
 戦後になると、通勤・通学客や沿線人口の増加に対応するために、郡中線の電化が計画され、昭和25年(1950年)に電車による営業運転が開始されたことにより、運行間隔の短縮や輸送力の増強が図られ、郡中線の旅客数量はさらに増加していった(図表3-2-1参照)。
 一方、省線(国鉄)では、昭和5年(1930年)に予讃本線が南郡中駅まで開通したことに合わせて、北伊予駅(現JR四国北伊予駅)が開業した。予讃本線の開通や北伊予駅の開業は、郡中線と森松線に挟まれ、鉄道路線の空白地帯となっていた北伊予(きたいよ)地区にくらす人々にとっての悲願であり、松山(まつやま)方面への移動手段が徒歩や自転車などに限られ、交通事情が悪かった当時の人々にとって、大きな喜びであった。
 北伊予駅開業に当たっては、山王原(さんのうばら)と呼ばれる竹やぶや雑木が生い茂った地域が開発され、駅の整備のみならず、県道北伊予停車場線など、駅周辺の開発も行われたことから、省線(国鉄)の開通に伴って、地域の様子は一変した。
 また、北伊予駅が開業した当時は、その取り扱い量は少なかったものの、貨物が取り扱われていた。地域の農産物や周辺地域から駅に運ばれてきた鉱山資源が貨車に積まれ、北伊予駅から各地へと鉄道路線を使って輸送されていた。しかし、昭和36年(1961年)には、国鉄の合理化計画に従い、貨物取扱いの集中化が進められたことにより、その機能は東レの製品等を扱い、貨物施設が充実していた伊予市駅(旧南郡中駅)へと移されていった。
 本節では、伊予鉄道や郡中線とともにあったくらしについて、伊予鉄道で勤務されたAさん(昭和9年生まれ)、郡中線をよく利用されていたBさん(昭和19年生まれ)から、また、北伊予駅前でくらしてきたCさん(昭和18年生まれ)から、国鉄や北伊予駅について、それぞれ話を聞いた。

図表3-2-1 郡中線の電化前後の旅客数量

図表3-2-1 郡中線の電化前後の旅客数量

『伊予鉄道七十年の歩み』により作成。