データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業14-西予市②-(平成30年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1章 野村町の産業と人々のくらし

 西予(せいよ)市は平成16年(2004年)、東宇和(ひがしうわ)郡明浜(あけはま)町、宇和町、野村(のむら)町、城川(しろかわ)町と西宇和(にしうわ)郡三瓶(みかめ)町が合併して誕生した。南予地方(愛媛県南部)の中央に位置し、北は八幡浜(やわたはま)市、大洲(おおず)市、内子(うちこ)町、南は宇和島(うわじま)市、鬼北(きほく)町、東は久万高原(くまこうげん)町及び高知県境の山々と接し、西は宇和海に面している。
 旧野村町は東宇和郡のほぼ中央に位置し、北は大洲市(旧市域)、旧肱川(ひじかわ)町、旧河辺(かわべ)村(いずれも現大洲市)、南は旧城川町(現西予市)、旧広見(ひろみ)町(現鬼北町)、旧三間(みま)町(現宇和島市)、東は旧小田(おだ)町(現内子町)、旧柳谷(やなだに)村(現久万高原町)、高知県梼原(ゆすはら)町、西は旧宇和町(現西予市)に接している。周囲を山地に囲まれ、西部の肱川の支流宇和川流域の盆地部から東部の大野ヶ原(おおのがはら)高原まで1,300mという標高差と変化に富んだ複雑な地形を形成している。
 明治22年(1889年)の町村制の施行により、渓筋(たにすじ)、野村、中筋(なかすじ)、貝吹(かいふき)、横林(よこばやし)、惣川(そうがわ)の6か村が成立した。大正11年(1922年)、野村に町制が施行され、昭和18年(1943年)には、上浮穴(かみうけな)郡浮穴(うけな)村の小屋(こや)が惣川村に編入された。昭和30年(1955年)、6か町村が合併して野村町となった。
 1600年ころ、泉貨紙の製法が旧野村町で開発されて以来、泉貨紙は地場産業として長く地域経済を支え、旧町内では惣川地区を中心に、和紙の原料であるミツマタが栽培されていた。しかし、機械漉(す)きの洋紙が主流となると泉貨紙は衰退し、ミツマタの栽培も昭和40年代に途絶えた。合併以後の旧野村町は、酪農、養蚕を基幹作物として「ミルクとシルクのまち」をキャッチフレーズに、その他にも葉タバコ、野菜など農林業の振興を町づくりの柱として発展してきた。
 本章では、旧野村町で酪農、蚕糸業、葉タバコやミツマタ栽培に従事した人々の、地域の産業とともにあったくらしや思いについて、その一端を明らかにした。