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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業15-四国中央市①-(平成30年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第2節 新宮の町並み

 旧新宮(しんぐう)村(現四国中央(しこくちゅうおう)市新宮町)は県の東部に位置し、東は徳島県の旧池田(いけだ)町、旧山城(やましろ)町(いずれも現徳島県三好(みよし)市)、南は高知県の大豊(おおとよ)町に県境で接し、西は旧伊予三島(いよみしま)市、北は旧川之江(かわのえ)市(いずれも現四国中央市)に接している。北の法皇(ほうおう)山脈と南の四国山地にはさまれた山間地域で、銅山川とその支流の馬立(うまたて)川流域にわずかに平坦地がある程度である。集落はその平坦地と、山腹の緩斜面に開けている。
 明治22年(1889年)、町村制の施行により新宮村、新瀬川(しんせがわ)村、馬立村の3か村が合併した新立(しんりつ)村と上山(かみやま)村の2か村が成立し、昭和29年(1954年)に両村が合併して新宮村となった。新立村を構成していた旧3か村と上山村は新宮村の大字となり、現在に引き継がれている。平成16年(2004年)に新宮村は川之江市、伊予三島市、土居町と合併して四国中央市新宮町となり、自治体としての歴史を閉じた。
 新宮の名は、熊野神社が、大同2年(807年)に紀伊国の新宮の速玉大社から勧請(かんじょう)されたことによる(写真1-2-1参照)。熊野神社は、四国第一大霊験所、熊野大権現と崇(あが)められ、四国4県に氏子崇敬者を有したが、戦国時代の兵火により、規模は境内地とともに縮小した。
 旧新宮村では、葉タバコ、養蚕、茶を基幹作物として振興していた。葉タバコは明治から昭和30年代にかけて、農家の換金作物として栽培が盛んであったが、昭和63年度(1988年度)を最後に廃作となった。養蚕は明治末期以降、葉タバコ農家以外の農家が行っており、昭和40年代後半が最盛期であったが、平成3年(1991年)を最後に行われなくなった。茶は昭和29年(1954年)にヤブキタ種が導入されて以降、村内各地に普及し、香り気高い新宮茶として特産品となっている。また、昭和14年(1939年)に日本鉱業株式会社が鉱業権を買収した新宮鉱山は、最盛期には100名以上が採掘に従事していたが、昭和53年(1978年)に閉山した。なお、平成4年(1992年)に高知自動車道の川之江-大豊間が開通し、旧新宮村内に新宮インターチェンジが設置されている。
 本節では、昭和40年(1965年)ころの旧新宮村の中心商店街の様子や人々のくらしについて、Aさん(昭和12年生まれ)、Bさん(昭和22年生まれ)から話を聞いた。

写真1-2-1 熊野神社

写真1-2-1 熊野神社

平成30年11月撮影