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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業16ー四国中央市②ー(令和元年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第3章 海と山の恵みと人々のくらし

 四国中央(しこくちゅうおう)市の川之江(かわのえ)、伊予三島(いよみしま)の両地域は、燧灘で漁獲されるカタクチイワシを加工した煮干し(イリコ)やちりめんの産地として知られる。
 法皇山脈以南の銅山川流域の山間部では、豊富な森林資源を背景に索道の架設や道路事情の改善に伴って木材の生産量を増加させていった。また、四国山地のほぼ中央部にあたる旧伊予三島市金砂町には、元禄年間の開坑とも伝えられる銅鉱山の佐々連(さざれ)鉱山があり、最盛期の昭和30年(1955年)ころの従業員数は約790人で、家族を含めた住民は3,500人を超え活況を呈した。しかし、昭和49年(1974年)ころから急速に採算が悪化し昭和54年(1979年)に閉山となった。
 本章では、川之江、伊予三島の両地域で水産業や林業、鉱業に従事した人々の、地域の産業とともにあったくらしや思いについて、その一端を明らかにした。