データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

伊予の遍路道(平成13年度)

2 近世

 江戸時代には、産業の発達と共に物資の流通がより盛んになり、社寺参詣に出かける人々も着実に増加した。こうして人や物の往来が活発になるにつれ、伊予の各藩もそれに応じて道沿いに一里塚の設置を行うなど街道交通の整備を進めた。なお「街道」の名称については、享保元年(1716年)に江戸幕府が五街道以外の道については使用しないと定めたが、地域によっては使われていたようで、明治時代には一般的な呼称となった。本書では「街道」の語を用いて記述している場合もある。
 江戸時代に発達した伊予の主な道について以下にあげるとともに、地図(図表2)としても示した。
 <主な街道>
   ① 宿毛道
     宇和島から県境松尾峠を経て土佐宿毛へ向かう道。中道・篠山道・灘道の3ルートがある。
   ② 宇和島道
     大洲から宇和島に至る道
   ③ 大洲道
     松山から大洲までの道、さらに夜昼峠を越えて八幡浜に向かう場合は八幡浜道とも呼ばれ、九州へ渡るための重要な
    道であった。
   ④ 土佐道(三坂越え)
     松山から三坂峠を上り久万を経て土佐池川に至る道で、久万道とも呼ぶ。現在の国道33号の道筋にあたるが、その
    大部分は重複しない。
   ⑤ 三津道
     松山からその外港である三津浜へ向かう道
   ⑥ 今治道
     松山から高縄半島の海岸沿いを北上して今治に至る道、現在の国道196号とほぼ軌を一にする。
   ⑦ 西条道
     今治から燧灘(ひうちなだ)の海岸沿いに西条に至る道
   ⑧ 讃岐道
     松山から桧皮(ひわだ)峠を経て東に向かい、西条からは燧灘に沿って讃岐に至る。現在の国道11号と交錯しつつほ
    ぼ同じ経路をたどる。金毘羅道とも呼ばれ、伊予からの金毘羅参詣に盛んに利用された。
   ⑨ 土佐道(笹ヶ峰越え)
     川之江から新宮を経て土佐高知に至る道
   ⑩ 阿波道
     伊予三島・川之江から県境境目峠を経て阿波徳島へ向かう道
   (平凡社地方資料センター編『愛媛県の地名』P34~38 1980)及び(愛媛県史編さん委員会編『愛媛県史 近世
   下』P210~212 1987)より作成。

図表2 江戸時代の伊予の主な街道

図表2 江戸時代の伊予の主な街道

(平凡社地方資料センター編『愛媛県の地名』P34~38 1980)及び(愛媛県史編さん委員会編『愛媛県史 近世下』P210~212 1987)を参考に作成。