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伊予の遍路道(平成13年度)

(1)突合から下坂場峠・鴇田峠を経て下畑野川へ②

 遍路道はここで右折して眼前の大宝寺の総門を目にしつつ久万川を総門橋で渡り、久万の町から旧菅生村(久万町菅生)に入る。この総門からの景でかつて48坊あったといわれる菅生山大宝寺の寺坊域の全容がうかがえる(写真2-1-10)。ほぼ一直線の道を進むと、次の中之橋の西詰めに常夜灯と2基の道標㉞・㉟がある。道標㉞によるとここから大宝寺までは4丁である。もう1基の道標㉟は二つに折れたままで、6丁の表示から見て総門橋近くに立てられていたのではないかという<24>。さらに250mほど東進すると、朱塗りの勅使(ちょくし)橋手前の道左側に道標㊱がある。この辺りから杉や檜(ひのき)の鬱蒼(うっそう)とした樹林となっており、勅使橋を渡って50mほど進むと緩やかな上りの歩き参道と直進の自動車道との分岐点に手印で2丁の距離を示した小さな道標㊲がある。その参道を上り詰めると、四国八十八ヶ寺の中札(なかふだ)といわれる四十四番大宝寺に至る。
 大宝寺は、老杉(ろうさん)の生い茂る山中にある。仁王門をくぐり石段を上ると、正面に本堂、右側に大師堂(御影堂)がある。境内は山地植物の宝庫といわれ、県の名勝に指定されている<25>。また境内には、寛保3年(1743年)芭蕉翁50回忌に建立された芭蕉塚「霜夜塚(しもよづか)」があり、芭蕉の句「薬のむさらでも霜の枕かな」が刻まれている<26>。
 この寺を打ち終えて二つ目の石段を降りきった正面にある道標㊳が岩屋寺の方向を示している。ここで左折し60mほど下りた所には道標㊴・㊵の2基が並んで立っている。さらに直進し100mほど行くと、峠御堂(とうのみどう)の山道を指示する矢印を刻んだ道標㊶がある。ここで左折し鬱蒼と茂った杉の木立に入り、急勾配の山の斜面を上っていく(写真2-1-11)と、途中に道標㊷があり、さらに峠御堂の峠(標高712m)の手前に文化11年(1814年)建立の道標㊸がある。久万町との標高差は200mほどだが、距離が短いために勾配のきつい山道である。下る山道の中程には道標㊹と休憩所がある。ここからはなだらかな下りで、山道を下りきると峠御堂隧道の出口に至る。ここから遍路道は県道久万西条線(12号)を下畑野川の集落を見下ろしながら進み、途中から県道をそれ右側の歩道を下って下畑野川の河合に至る。この付近には、かつて15軒ほどの遍路宿が建ち並んでいた。春の彼岸ころは一晩に300人もの泊まり客があり、接待に忙しく賑わったという。この地は遍路が、宿に荷物を預けて岩屋寺へ向かい、岩屋寺を打ち終えると、再び道を引き返して戻り、改めて四十六番浄瑠璃寺に向かった「打戻り」の地である。

写真2-1-10 総門橋から望む菅生の山

写真2-1-10 総門橋から望む菅生の山

平成13年5月撮影

写真2-1-11 峠御堂の峠道

写真2-1-11 峠御堂の峠道

平成13年6月撮影