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伊予の遍路道(平成13年度)

(1)吉祥禅寺を経て国分寺へ①

 ア 仙遊寺から吉祥禅寺へ

 玉川町別所にある仙遊寺は、作礼(されい)(佐礼)山山頂近くの標高260mの地にあり、寺への道はかなりきつい坂道が続く。
 「四国徧礼霊場記」には、「麓は田畑縡(かんはた)のごとく布、遠く滄海を望めば島嶼波に泛べり。左は今治の金城峙つ。逸景いづれの処より飛来、唯画図に対するごとしとなり<1>」と記されているように、寺への道途中からは、今治市内や美しい瀬戸内海が一望できる。
 本堂手前約300m地点の登り道左側に国分寺へ向かう遍路道への分岐点がある。そこに武田徳右衛門の道標①及び真念の道標②がある(写真3-2-1)。このように真念と徳右衛門の道標が並んで立つのは珍しい。また真念道標隣に地蔵像があり、その台石に静道居士(詳しくは第3章第1節参照)の「よきとこへこころしづめてはなのやま」の句が、さらにその下の台石に「本堂江三丁」と刻まれている。
 さらに道を登ると左手に仁王門があり、手前の道沿い左側に、数基の地蔵の中に覚心の「是より壱丁」と刻まれた舟形丁石がある。車道は仁王門の右を通り境内へと続くが、昔ながらの遍路道は仁王門を通り抜け、手すりの付いた石段を登る。途中右側に、覚心の「是より二丁」と刻まれた舟形丁石が立っている。この丁石は、先の丁石と入れ替わっているようである。
 さらに登ると左側には、小屋に覆われた「弘法師御加持水」と石柱が立てられ、水口から清潔な水が流れ出ている(写真3-2-2)。この泉には弘法大師が錫丈(しゃくじょう)で清水を掘り出したという杖立伝説が伝えられている。また、このあたりの里人が日照りと疫病に悩んでいたので霊泉を大師が教えたとも、大師がこの水を加持して病人に施すと、たちまち病気がなおったとも伝えられている<2>。
 参道途中には西国三十三ヶ所観世音石像が一番から三十三番まで立ち並んでいる。石段を登りつめると仙遊寺に至る。仙遊寺は地元の人々には、「おされさん」と呼ばれ親しまれている。境内には二層の屋根のある本堂、大師堂、鐘楼、最近(平成12年)建てられた宿坊などがある。
 鐘楼の北西に心精院静道の「龍燈桜 国分寺へ五十丁」の道標③がある。この道標には静道の「入相のかね惜しまるる桜かな」という句が刻まれている。龍燈桜については『今治夜話』に7月17日の夜、湊黒磯より龍灯が出現し、海から龍灯川をさかのぼってこの樹にかけられたとの伝説が記されている<3>。
 仙遊寺を出た遍路は、国分寺へ向かう遍路道への分岐点まで打ち戻り、徳右衛門道標①・真念道標②に従い右の細い遍路道に入る。
 道は細い急な坂道を下る。しばらく行くと「五郎兵衛坂」と呼ばれる坂道がある(写真3-2-3)。名前の由来は、昔桜井に五郎兵衛という漁師がいて、仙遊寺に奉納されていた大太鼓の音が大きいので魚が逃げて漁ができないと大層怒り、仙遊寺に登り、包丁でその大太鼓を破ったうえ、仏様に悪口雑言をあびせた。その帰り道、五郎兵衛はこの坂でころんで持っていた包丁が腹にささり、それがもとで亡くなったという話による<4>。

写真3-2-1 真念と徳右衛門の道標 

写真3-2-1 真念と徳右衛門の道標 

国分寺への遍路道の分岐点。地蔵の左が真念道標、それから左二つ目が徳右衛門道標。平成13年5月撮影

写真3-2-2 弘法大師御加持水

写真3-2-2 弘法大師御加持水

仙遊寺への参道途中。平成13年5月撮影

写真3-2-3 急峻な五郎兵衛坂 

写真3-2-3 急峻な五郎兵衛坂 

仙遊寺から今治市新谷への遍路道。平成13年5月撮影