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遍路のこころ(平成14年度)

(2)地域の人々による接待

 ア 老人会の人々による接待

 (ア)接待の始まり

 長い歴史を持つ接待講とは異なり、新しく接待を始める地元の集団もある。例えば西条市禎瑞の老人会「共楽会」有志の人々は、六十四番前神寺の境内で平成3年から毎年春に接待を行っている。この接待の世話役を務めている**さん(大正15年生まれ)に話を聞いた。
 まず、新たに接待を始めたきっかけについて、**さんは次のように語る。
 「平成2年に近所の人たちとマイクロバスで大島の島四国に行った際、ある小さな札所のお堂で接待があり、そこで80歳のおばあさんが、皆に手作りのさい銭袋を配ってくれました。聞いてみると、この接待の日を楽しみに一年間かけて袋を編んでいるということです。帰りのバスの中で、皆が口々に『この接待はすばらしかったね。私たちもこういう接待をやってみたいね』と言い合い、それでは老人会の有志で次の年から実際に始めてみようということになったのです。」
 こうして前神寺での接待が始まっていくのだが、それにはまず接待品の調達を行う必要があった。
 「私たちも手作りのさい銭袋を接待しようとしたのですが、袋を作るためには布切れが必要です。これを購入するとかなり費用が必要ですが、つてを頼って西条市の何軒かの縫製工場から出るハギレを寄附していただけることになりました。袋の口を締めるための紐(ひも)も、工場の方々が卸(おろし)価格で買っておいてくれました。
 いただいたハギレを数名で手分けしてさい銭袋に仕上げていきました。そうすると今度は、お大師様の御縁をいただけるように袋の中に5円玉1個を入れてはどうかということになったのですが、『ぜひこの5円玉を入れて渡してください』と寄附してくれる人が出てきました。1年中貯めておいた5円玉を、この接待のために出してくれたのです。それから、接待当日には甘酒やお茶も沸かして振る舞ったのですが、この甘酒は石鎚の酒屋さんが酒粕(さけかす)をとっておいてくれて、『ぜひ接待に使ってください。』と提供してくれたものです。
 こうして、さい銭袋と甘酒を中心に、皆さんの善意で平成3年3月20日に第1回目の接待を行いました。」
 毎年接待を行っていると、徐々に人の輪が広がっていったと**さんは言う。
 「3年前のことです。自分のリハビリのためにと新聞の折込チラシを使って自家製の肩たたきを作っている人がいました。接待をしている時に、たまたまその方の奥さんが、『うちの主人がたくさん作っているから、ぜひお遍路さんにあげてください。』と言って、その肩たたきを何百個も持って来てくれました。さらに、一緒に接待を行っている方の知人がティッシュペーパーを毎年500個ばかりもくれるようになりました。こうして現在では、甘酒を振る舞い、さい銭袋と肩たたきとティッシュペーパーをお配りする接待となりました(写真1-1-16)。
 また5、6年前、私たちの接待が紹介された新聞記事を見たということで、さい銭袋を作るのに使ってほしいとたくさんの毛糸を宅配便で送ってくれた人があります。毛糸店からも、毛糸を無料でくれたり安く売ってくれたりするようになりました。接待を通じて、どんどん人の輪が広がっているように思います。」

 (イ)接待を行って

 接待を受ける遍路の人たちの評判はとてもいいと、**さんは語る。
 「お遍路さんたちからは、大変喜んでもらっています。『こんな接待をうけたのは初めてです。』と言ってくれるお遍路さんもおります。
 接待のお返しとして、10円、100円を置いてくれるお遍路さんがいます。また、遍路を率いる先達さんの中には、1,000円札をくれる人もいます。『これだけいただいたら接待にはならないから。』と返そうとしたら、『いいや、来年の接待の材料代に使っていただいて、またお遍路さんを喜ばせてください。』と言われました。また、いただいたお金を、数年前まではお寺におさい銭として納めていたところ、お寺も『これを来年の費用に加えて、接待を続けてください。』と言ってくれました。皆さんの善意で毎年接待が続けられるのだと、つくづく思います。」
 接待は、前日に境内にテントを立てることから始まって、当日は大変な忙しさである。地域の特色ある活動だということで地元の禎瑞公民館が協力はしてくれるものの、接待当日以外にも世話役にはたくさんの仕事がある。この点について、**さんは次のように語る。
 「自分でさい銭袋を縫う一方で、ほかにさい銭袋を縫ってくれる人、その他の準備をしてくれる人、当日に協力してくれる人などの手配を行い、さらには最後の会計報告に至るまで行っています。さい銭袋が出来上がると、材料をいただいたお礼に縫製工場の従業員さんたちや毛糸をくれた方に持っていったりもしています。ちなみに今年は、皆で協力してさい銭袋を1,000袋くらい作りました。
 とにかく、この接待は大勢の方々の協力がなければできません。その点、何かと助けてくれる友人たちが近所にいて相談できることはありがたいことだと思っています。」
 毎年接待を行うのは大変だが、**さんはそれでも続けていきたいという。
 「今年は特にお遍路さんが多くてしんどかったので、『来年はどうする?』と皆さんに聞いたら、『ぜひ続けようよ。』と言ってくれました。たしかに私にも、これだけお遍路さんが喜んでくれることをやめるわけにはいかないという思いがあります。
 接待は、する側も楽しんでしているのです。皆さん、接待を通じた人間同士の触れ合いが楽しいと思っているから、毎年手伝う人も多いのだと思います。
 なぜか毎年、4月が来ると皆がそわそわするのです。毎年の接待やその準備を生きがいとして行っている人が多く、お母さんが引退した後に今度はその娘さんが参加してくれている家もあります。」
 こうして毎年、前神寺境内での接待が続けられているのである。

 イ 主婦グループによる接待

 松山市の五十番繁多寺では、市内の数名の主婦グループが定期的に接待を行っている。その代表者の女性(昭和25年生まれ)に話を聞いた。
 「私は、以前から友人たちと体操をするグループを作って活動してきました。その友人たちと、あまりお金もかけずに何か楽しくできることはないかといろいろ探してみて、カルチャースクールなども考えたのですが、これには今一つ満足感を得られませんでした。それではお遍路さんへの接待をやってみてはどうだろうかと考えつき、3年前(平成11年)の9月ごろに友人たちと3人で始め、さらにその後、自分の家族や親戚が助っ人として加わってくれました。」
 彼女たちの接待のあらましは、次のとおりである。
 「接待は、毎月第2日曜日に行っています。朝の8時30分ごろに繁多寺に行き、準備ができ次第接待を始めて、昼の12時まで行います。先日(平成14年6月)の接待は4名で行いました。
 まず、境内にテーブルを置きます。接待する物はお茶とお菓子が主体で、季節によってミカンを出したりアイスクリームを出したりします。お茶も同じく、夏は冷たい麦茶を出し、冬は温かいお茶を出すようにしています。温かいお茶を出す場合は、小さなプロパンガスを持って行って接待場所で沸かします。」
 彼女は、接待は楽しいものだという。
 「接待は楽しいです。私たちが出したお茶を飲んでいただけたらそれだけでうれしいし、さらに、お遍路さんに『お接待、ありがとうございました。』と言われると、こちらが『ありがとうございます。』という気持ちになります。してあげた、という考えは全然ないですね。楽しいことを見つけたという気持ちです。他の人が英会話に行ったりダンスしたりして楽しむのと同様に、私たちは接待をするのが楽しいことなのです。
 繁多寺の坂を上って来るお遍路さんの団体バスの音を聞き、大勢お参りの方が来られる姿を見ると、もうそれだけでうれしくなります。忙しく接待した後に、みんなで『きょうは幸せだったね。良かったね。』と言い合っています。」
 ここには、肩の凝らない楽しみながら行う接待の姿がある。

 ウ 小学生が参加する接待

 (ア)社会福祉協議会による接待

 松山市の五十二番太山寺と五十三番円明寺では、地元の和気地区社会福祉協議会が発案・実行し、それに和気小学校児童の希望者が加わる形で、平成13年の秋に接待が行われた。両寺の境内では、もともと戦前までは地元の人々による接待が盛んに行われており、したがってこれは中断していた接待の復活ということになる。
 この接待のあらましを知るために和気地区社会福祉協議会の方々に集まってもらい、主として会長の**さん(昭和3年生まれ)から話を聞いた。
 「私たち地区の社協では、毎年3回福祉講座を開いてきました。去年、そのうちの1回分について、今までしたこととは違う何か新しい事をやってみようということになり、それではお遍路さんへの接待を復活させてはという結論になったのです。さらに、社協だけでなく、地域の行事として小学校の児童にも参加してもらってはどうかという意見も出て、社協のメンバーでもある和気小学校の校長先生にお願いした結果、実現の運びとなりました。児童たちにとっては、遠くから来た、しかも比較的年配のお遍路さんとの触れ合いも、何か教育の一環となるのではないかとも考えたのです。
 接待を思いついたのは、私たち自身が子供のころによく接待に参加していたという思い出からです。戦前までは、主に餅やミカン・ナシなどの果物などをお遍路さんにあげる接待を、地区の組ごとの単位で盛んにやっていたのです。」
 久しく途絶えていた後、今回再開された接待について、**さんは次のように語る。
 「今回の接待は、11月3日に太山寺、同じく4日に円明寺で行うこととし、接待の品物はミカンとアメ湯と決めました。その分量は、ミカンが2日間それぞれ50kg(ダンボール5ケース)、アメ湯がそれぞれ紙コップに200杯ずつです。アメ湯については、どのくらいの濃さでどのくらいの分量が必要か事前に公民館で試作してみました。
 接待の準備をし、アメ湯を作るのが私たちの役目で、お遍路さんに手渡すのは子供たちというふうに役割分担をしました。こうしてまず太山寺で、朝の8時過ぎから12時まで接待を行いました。あいにくの雨でしたが、団体バスが来たりして、大体この時間でちょうど接待品はなくなりました。」
 接待を終えて、**さんは確かな手ごたえを感じている。
 「今回の接待は、大変良かったと思っています。子供たちがこれほど積極的にしてくれるとは、最初は想像していませんでした。お遍路さんたちは、自分の孫みたいな児童に声をかけてもらい、接待してもらって皆大変喜んでくれました。『子供さんからの接待は初めてです』という声をいただきました。
 接待は、する側とされる側の両方が『ありがとう。』と言い合うべきものだと思います。特に今回、接待をする児童たちが大きな声で『ありがとうございます。』と言うのを聞いていると、私たちも気持ちがなごみました。世の中が殺伐としつつある時代だけに、こういった接待の心を持つのは大事なことではないかと思います。」

 (イ)接待への小学生の参加

 和気地区社会福祉協議会からの申し入れを受けた和気小学校では、地元の行事として接待活動への児童の参加を決めた。その際に、当時6年生の学年主任として児童の指導を行った和気小学校教諭の**さんに話を聞いた。
 「和気地区社会福祉協議会からの申し入れを受けて、まず、福祉協議会のメンバーとしてその企画内容を最もよく知っている校長先生が保護者への趣意書を作ってくれました。それを6年生児童の各家庭に配布して希望者を募ったのですが、今の子供たちには、教室で趣意書を渡す際にちょっと説明した程度では接待の意味がよく理解できず、希望者は各学級数名しか出ませんでした。
 これでは、せっかく地区の方々が熱心に準備をしているのに残念だと思い、改めて6年生の学年集会の際に、なぜこの地区で接待をやろうとしているのか児童たちに話しました。『この地区の人々は、ここに四国遍路の札所が2か所あって遍路道も残っていることを誇りに思っています。昔から、行き交うお遍路さんを厚くもてなすことで、人々の温かい交流が続いてきたのです。そういう交流が近年少なくなってきたので、みんなで接待の心を受け継いでいきたいのです』という話をしたところ、最終的には60名程度の希望者が出ました。実は、福祉協議会からは2日間で40名程度と伝えられていたので、校長先生に相談したら、『本人たちにやる気があるのだから、全員参加させましょう。』ということで、希望者全員に参加してもらうことにしました。」
 2日間の接待当日は、和気小学校の先生たちも交代で現地に見に行った。
 「接待参加に際して事前に本校で指導したのは、接待のできる服装としてエプロンと三角巾をつけることと『お遍路さんに気持ちのいい挨拶(あいさつ)をしよう。』ということだけです。
 もじもじしている児童がいたら、もうちょっと前に出て元気に声をかけるように言おうと思っていたのですが、普段おとなしい子もいつもの何倍も声を出していて、その必要はありませんでした。接待をしている児童を見ていると、私たちが遠くから来た方々をおもてなしするんだ、という自負心のようなものを感じました。だから、普段よりも大きな声で挨拶できていたし、どの子も顔が輝いていました。
 また、子供たちからすると、お遍路さんからお礼の言葉が返ってきたり、『どこの学校なの。』と声をかけてもらったりするのがうれしく、もっとがんばろうという気持ちを強くしたようです。さらに慣れてくると、すすんで『どちらからいらっしゃいましたか。』と、お遍路さんに尋ねている女の子たらもいました。千葉県など遠くの地方から来ているのが分かったのは、新鮮な驚きだったようです。
 また、お遍路さんの中には、子供たちに手作りのマスコットをあげたり、一緒に記念写真を撮ったりした人もいました、最後にはどの子も、接待に参加して本当に良かったと言っていました。」
 最後に**さんは、「接待に参加した児童たちの様子を見ていると、こういった行事を通じて児童たちと地域の人々の交流も深まるように思うし、またそう期待したいと思います。」と締めくくった。
 11月3日の太山寺での接待の様子は、同じ月に愛媛県のテレビ局のローカルニュースとして放送されている。それを見ると、「お接待は大変じゃないですか。」という取材者の問いかけに対して、一人の女子児童は、「大変じゃありません。お遍路さんが喜んでくれたら疲れも吹っ飛びます。」と答えている。また、児童たちは口々に、「お遍路さんが喜んでくれたので、参加してよかったと思いました。」(男子)、「また接待をしてみたいです。お遍路さんの喜ぶ顔を見たら、私も元気になるから」(女子)といった感想を話している、**さんもこの画面の中で、「近ごろは核家族が多くなって、高齢者と孫世代の触れ合いが少なくなっています。接待を通して、世代間の絆(きずな)が少しずつ結ばれていけばと思います。」と語っている。

 工 接待の新たな動き

 以上見てきたように、遍路が近年盛んになるのと軌を一にして、新しい接待の動きが各地で起こってきた。これらの接待の多くに共通しているのは、信仰心とは直接関係のない、「お遍路さんが喜んでくれることが自分にとっても喜びだから」という動機で行う接待だという点である。
 この点について、遍路経験者の永井典子氏はある月刊誌の座談会の席上、「お接待する喜びっていうのもあるんじゃないかなって。」と言い、「お接待を受けて泣いたり感動したりっていう自分や人を見ると、あ、人間ってやっぱり本当は善なる生き物ねって。それを思い出させてくれるのがお接待。みんな人にいろんなことしてあげたいと思ってるっていうのを、思い出させてくれるっていう気がします。(①)」と語っている。また自井加寿志氏は、接待を「単なるギブ・アンド・テイクと考える(中略)だけでなく、もっと根源的、即ち人間存在の普遍的生き方・あり方・考え方から、何かを施したい、させてほしい、そうすることによる喜びを味わいたいということで(中略)この習俗が続いている(②)」という指摘を行っている。
 藤沢真理子氏は、現代の接待は日本のボランティア活動の原点と考えられるのではないかという。ボランティア精神の基本には善意があり、それは、社会のために役立ちたい、困っている人々のための手助けになりたいと願う人間の本性であり、人間が人間として幸せに生きる社会をめざすために誰もが持っている願いである。そして、その善意に基づくボランティア活動には「主体性」・「福祉性」・「無償性」・「継続性」という四つの特性があるが、接待の行為はこの四つをいずれも満たしているというのである(③)。さらに藤沢氏は、現在は遍路に限定されている「接待の心」だが、キリスト教でいうところの幅広い「隣人愛」へと拡大・普遍化する可能性が十分にあると指摘するのである(④)。

写真1-1-16 手作りの接待品

写真1-1-16 手作りの接待品

さい銭袋(右)と肩たたき(左)。平成14年6月撮影