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遍路のこころ(平成14年度)

(2)新四国の推移

 『四国遍路の研究』によると、江戸時代に成立し盛んになった各地の新四国は、明治時代に入り神仏分離や廃仏毀釈(きしゃく)の影響を受けて一時的に四国遍路が廃(すた)れると、それに伴って衰退していった。しかし、世の中が安定してくる明治後期になると、南備八十八か所(岡山県)や遠賀川西八十八か所(福岡県)などが開創され、続いて大正期になると、東海八十八か所(静岡県)、浜名湖八十八か所(静岡県)、阿寒八十八か所(北海道)などが開創されるなど、次第に活況を呈するようになっていった(⑥)。さらに昭和期に入ると、昭和10年(1935年)までに、新津軽八十八か所(青森県)、越中一国八十八か所(富山県)、大名古屋八十八か所(愛知県)などが開創されている。太平洋戦争中は、四国遍路も廃れ、新四国を参詣(けい)する人も少なくなっていった。その後、戦後の混乱期を経た後に、再び四国遍路が盛んになったが、自動車の普及など交通機関の発達とも相まって四国遍路そのものが容易になってきたため、その後の新四国の創設は、三重四国八十八か所(三重県)、玉川八十八か所(神奈川県・東京都)、九州八十八か所など次第に少なくなっていった(⑦)。