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遍路のこころ(平成14年度)

(3)世界遺産化への思い

 「『四国へんろ道文化』世界遺産化の会」世話人代表をつとめ、歩き遍路も体験している**さん(昭和25年生まれ)に聞いた。
 **さんは、遍路と世界遺産化ということについて「そう思い始めたのは6年くらい前でしょうか。そのころは四国の道州制、つまり四国は一つというような考え方は、まず受け入れられなかった。でも今はそうじゃない。私は、四国遍路が四国を一つとして考える求心力を持っており、しかも、その『お四国』には、四国から外部に向かって発信できるメッセージが十分にあると思っていました。」という。
 やがて、町づくりを進める会の人々との話し合い、あるいは、ミニフォーラムを開いて、遍路道を歩いたりしながら、「お四国」を「四国へんろ道文化」として捕らえ、それが、世界遺産になぜふさわしいか、地域づくりや、自然環境保護の観点からも改めて見直していこうとしたとのことである。
 こうして始まった、この会の設立趣意書によると、「四つの柱を切り口として、『四国へんろ道文化』の現状と将来像を考え、後世に伝えることで、四国そのもののあり方、四国へんろ道に沿った地域の生き方を考え、四国に住む人々、四国に関わる人々の心のより所である『四国へんろ道文化』を世界遺産とするため」この会の発足を提案するとある。そしてこの四つの柱とは、①「癒(いや)し」②「ボランティア」③「文化交流」④「環境保全」の四つである。
 「お四国を支えている基本は『共に生きる』という姿勢」だと**さんの話は続く。「共に生きるという姿は、今最も求められ、大切にすべき生き方だと思います。遍路道には出会いがあり、お互いに触れ合い、支えあっていく姿がしっかりと根付いてきました。それが共に生きるということでしょうか。その大切な生き方を四国から発信したいと思うんです。」と、遍路道が持っている、触れ合い、支え合っていく生き方の大切さを強調する。そしてお四国の心や遍路道文化の世界遺産化にふれて、次のように語る。
 「宿坊に泊まったり、通夜堂に泊まった方々とのお話は様々なことを教えられます。遍路される方の中には、身近な者の供養、事業に失敗した悲しい思いの癒し、わが身の過去への懺悔(ざんげ)の思いなど様々な思いを抱いた方がいます。中には自殺未遂を何度も繰り返してきたと言う娘さんだっていました。その方はお四国で、皆さんに声を掛けられ、勇気付けられて帰るとのことでしたが、『お四国』にはそういう温かい眼差(まなざ)しや支えあう心がある。そして、身分や肩書きに関係なく、あるいはどんな事情や経歴があっても、みな同じ『一人の人間』として受け入れる。そうした遍路道に根ざした四国の心というものは素晴らしいものだと思います。」さらに、**さんは、遍路道文化の世界遺産化ということについて、「私はお四国の心ということこそ世界遺産として発信できる最も大事なものと思うのですが、これは今の世界遺産の基準にはぴったり来ないかもしれません。でも、世界遺産の基準も人間の作るもの、本当に大事なものを後世に伝えるとしたら、その基準だって変わりうるとも思います。今私が話している『共に生きる』とか『こころ』とかいうのは形がないものです。それで、少しでも現在の世界遺産の基準に近づけるものとしては、それらを内在する遍路道文化かなと思っています。そうすると八十八ヶ寺というのはその遍路道を結ぶ点になる。それらを包含した中に人と人を結ぶものがあり、そのすべてを包み込んだ遍路道文化を、世界遺産として、日本へ、そして世界へ発信したいと思うんです。
 今まで、人々は豊かさを求めてきました。そして今は物の豊かな時代になりました。でも一方ではテロもあり争いごとが絶えません。そんな今の世の中だからこそ、『共に生きる』とか『こころ』の問題は一番大事なことだなと思っています。『お四国』は人々の心の問題を取り上げて、宗教でもテロでもなく、もちろん争いでもなく、それらすべてを包含するものとして、心のありようを我々に問いかけています。その意味では、この『お四国』は世界の先端を走っているものではないかと思いますよ。とはいえ、世界遺産化への夢は遠い遠い道のりでしょう。」
 今、この「『四国遍路道文化』世界遺産化の会」は、世話人会を月に1度開き、「町づくり事業委員会」、「世界遺産化登録事業委員会」、「研究事業委員会」、「広報事業委員会」を設けて話し合いが行われているそうだが、人数も少なく、世話人全員がそれぞれの会にかかわりながら、地道な活動を進めているとのこと。会の地道な活動と遍路道とのかかわりとその発展について**さんは、「たとえば町づくりの観点から、町おこしにかかわり、ミニフォーラムを開く。それがその地域だけではなく四国全体の活性化に広がっていってほしい。あるいは毎年草刈をして、遍路道を修復保存しながら守り続けてくれている人たちが居ます。その行為やその思いは遍路道をつなぐ癒しとなって広がっていく大事なものです。お接待でもそうですが、四国の人々は当たり前のこととして、恩着せがましくも思わない。でもそうしたことにも目を届かせて顕彰し伝えていきたい。それに何より、『お四国』には、共に生きるという価値ある姿があるということを皆に再認識してもらいたい。その中で人と人との新たなかかわりが生まれてくる。そうやって地域の人の流れを活性化することにつながる。そういうことを地道に続けながら、一方で世界遺産が実現できればいいとの思いです。」とも語る。だから、「何が何でも世界遺産にしなければいけないというのではない。」と言う。
 でも、「世界遺産化」という具体的な看板を上げたことで、四国遍路というものを様々な観点で見直すこと、より身近なものとして一般の人々の議論の場に下ろすことが出来たと思うとも言う。
 ただ世界遺産化というのはあまりに大きな問題だけに、今後いろいろな団体とも連携が必要である。
 「もちろん反対する人々もいらっしゃいます。そういう人たちとも意見を十分交換しながら息の長い取り組みになるでしょうね。」と語っている。
 学生の歩き遍路体験学習を始めた今治明徳短期大学前学長の**さんは、「遍路道を歩くということは人と自然に触れるということです。便利さを求めての現代の道、それは物に頼ることでしょうが、遍路道はそうではなく、そこに人間というもの、心というものを再認識できる道だということです。最も人間らしい生き方の姿がこの四国遍路の中にある、それを日本中へあるいは世界に向けて発信する、それは四国しかできないこと、そういうことに気づく若者が一人でも多くなれば有り難いと思います。」と語っている。四国遍路が長く受け継いできた価値あるものを若者が継承し、さらにそれを四国から発信できればとの思いであろう。
 四国遍路は、かつては信仰の対象であり、修行の場であった。その思いは今も根強く残っている。しかし一方では信仰に無縁の人、荒行に耐えられない状況の人、様々な事情を抱えたそれらすべての人々を受け入れるおおらかさがある。そして、四国遍路の道は、自らの生き方を探し求め、苦難の中にも感動を味わう道であり、同時に、自然の懐に抱かれ、人々と触れ合い、喜びと安らぎという癒しの用意された道でもある。また、人と自然とを含めてすべてのものが共に生きることの素晴らしさを示している道でもある。今、四国遍路を文化として世界遺産化することについて、賛否両論が新聞にも投書されたりして意見の集約はまだまだなされていない。その意味では世界遺産化への道は遠しとしても、これからの四国遍路そのものは特別な人たちのものではなく、将来を支えていく若者から高齢者まですべての人々のための存在として、改めて見直されるべきだと思われる。