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えひめ、その食とくらし(平成15年度)

(2)先祖のおまつり②

 ウ 盆と山の火祭り

 (ア)山の神の火祭り

 盆行事の火祭りの一例として上浮穴(かみうけな)郡小田(おだ)町寺村(てらむら)地区の「山の神の火祭り」を取り上げる。小田町は県の中南部、上浮穴郡の西部に位置する小田川上流の山里である。寺村地区は町の西部に位置し、北は河辺(かわべ)村、西は内子(うちこ)町に接し、小田川沿いに国道380号が東西に通る。
 『県境山間部の生活文化』に、「今日、上浮穴地方の代表的な夏の風物詩として有名な行事となっている『山の神の火祭り』(写真2-1-17参照)は、小田町寺村地区における伝統的共同事業である。山の神の火祭りの起源は文政6年(1823年)に始まり、今年(平成5年)で170年を迎えるという県下でも大変珍しい伝統行事である。古くから寺村の六角山(ろっかくさん)(標高325m)の頂上に山の神の祠(ほこら)があり、寺村の人々は毎年、旧暦の7月20日に百八灯(ひゃくはっとう)の『おひかり』を灯(とも)して山の神を迎え、山の幸と秋の豊作を祈願した。山の神は、春先には山里に降りて田の神となり、秋には収穫が終わると山に帰って山の神になるという山村の人々の信仰である。(㉒)」と記されている。
 小田町寺村地区の**さん(昭和20年生まれ)と**さん(昭和23年生まれ)夫妻に、「山の神の火祭り」やそれに伴う食について聞いた。
 「山の神の火祭りは、かつては旧暦の7月20日でしたが、昭和52年(1977年)から8月15日になりました。寺村の林慶(りんけ)、新田(にいだ)、堂村(どうむら)、中通(なかどお)りの四地区を6区に分け、輪番制で6年に1回当番をします。当番は15名で、昔からその代表を『宿(やど)』といい、連絡係を『ふれかた』と呼びました。五穀豊穣(ごこくほうじょう)と虫除(むしよ)けを兼ねた伝統行事は、今から180年前の文政6年に始まっていたことが、『当番帳』の記録から分かります。火祭り当日には、太鼓(たいこ)、花火、カラオケ大会や夜市もあり、町内外からの大勢の見物人でにぎわいます。」
 さらに、昭和30年(1955年)ころの日常のくらしと盆の食について聞いた。「うどんは小麦を製麺所(せいめんしょ)に持って行き、生(なま)のうどんに換えてもらい自分で打つことはありませんでした。山里なので、生魚は“何か事”(何か特別な事)以外は食べられませんでしたが、時おり焼きさばに味噌(みそ)を付けたり、身をほぐしてきゅうり和(あ)えにしました。小田では『盆さば』といって、今も盆にさばを食べる習慣が残っています。
 盆には、ゴボウ・シイタケ・くずし(かまぼこなどの練り製品)など具をたくさん入れたばらずし(ちらしずし)とたらいうどんです。昔は湯がいたうどんは金物の入れ物がないので、木製のたらい(桶(おけ))を使ったと聞いています。だしはいりこ・シイタケ・ダイズなどからとり、ダイズはだし汁の中にそのままの形で入っていました。さらに、蒸したもち米を丸るめて、あんこやきな粉をつけたおはぎ(ぼた餅)があります。夏場はいたみやすいので餅や赤飯(せきはん)は作りません。副食として、山村特有の山菜(タケノコ・ワラビ・ゼンマイ・フキ・ウドなど)とゴボウ・ニンジン・サトイモなどの根菜や自家製の豆腐やこんにゃくなどを煮込んだ煮しめ、キュウリとワカメにタコやイカを入れた酢づけ、その酢づけには焼さばを入れることもありました。さらに5月のお節句には、しば餅や小麦粉で蒸し饅頭(まんじゅう)をよく作りました。」
 水も粉もすべて地元産という小田のたらいうどんについて、「ふだんの日のご飯は、とうきび飯や麦飯で済ませ、正月には白米飯、正月以外のハレの日-結婚式、葬式(そうしき)、祭り、庚申会(こうしんえ)など人が寄り合う時には、必ずうどんを打って振る舞った。(中略)日ごろは質素な食事であったので、そのおいしさは何ものにも勝った。ゆでるときは少し軟らか目にゆでるのが特徴で、かけうどんにはむかない。冷水に浮かすうどんもまたおいしいが、やはり熱いうどんが昔ながらの味である。(⑤)」と『愛媛の味紀行』に記している。
 今年(平成15年)も、小田町の伝統行事「山の神の火祭り」がお盆の8月15日の夜、寺村地区で行われた。小雨にもかかわらず夕闇の六角山に松明(たいまつ)の明かりで「山ノ神」の文字と「坊っちゃん列車」が静かに浮かび上がり、盆休みの帰省客や町内外の見物客が、火の祭典を楽しんだ。

 (イ)新盆を迎えて

 新盆とは、「前年の盆以降、新亡者(しんもうじゃ)があった家ではとくにアラボン、シンボン、サラボンなどといい、普通の家よりも早く盆の準備にかかり、祭壇(写真2-1-18参照)を設けて丁寧(ていねい)にまつりを行う。新盆の家では6月末に施餓鬼幡(せがきばた)を立て盆燈籠(ぼんどうろう)の点(とぼ)し始めをする。燈籠はこの日から1か月間点すことになっており、最後の日をトボシアゲという。(⑧)」と『愛媛県史 民俗下』に記されている。
 今年(平成15年)、夫と実母を亡くし新盆を迎えた小田町寺村地区の**さん(大正13年生まれ)と長男の**さん(昭和26年生まれ)に、盆の一連の行事と食について聞いた。
 「昭和30年(1955年)ころのお盆の料理といえば、そうめんとたらいうどんでした。暑い季節なので料理は少ないですが、ばらずし(ちらしずし)、おはぎ、団子(だんご)、蒸しパンなどで、子どもにはカレーライスを作りました。
 今年(平成15年)、精霊を迎える前日の8月12日、青竹で盆棚の枠を作り、板を渡しその上にバショウ葉を敷きました。そして青笹とハギの葉で檀のところに門口を作り、その両側に1mほどの細長いふろう豆(ナガフロ豆、ナガササゲ、お盆豆ともいう。)を掛けて飾り、この壇に位牌(いはい)を並べました。バショウ葉は先祖を迎えるための青畳か座布団(ざぶとん)代わりと聞いています。供物(くもつ)は三角錐(さんかくすい)に盛りあげた紅白の米粉団子、餅、お茶湯、季節の野菜と果物と御霊供膳(おりょうぐぜん )(霊前の供物)などです。
 一連の盆の行事については、まず13日の夕方迎え火を焚(た)いて先祖を迎えます。迎え火は家の前で杉の葉を焚きますが、コエ松の家庭もあります。精霊迎えをすると、まずご仏飯を供え、あとは毎日三度の御霊供膳を供えます。現在は行っていませんが、14日は棚経(たなきょう)といって僧が檀家(だんか)を読経して回りました。供える御霊供膳は朝と昼とで料理を変えます。朝はおはぎ、昼はご飯と煮しめなどです。15日の朝はご飯と煮しめ、昼はうどん、夕方は送り団子のほか、スイカやナス、トウキビ、フロウ豆やお菓子を供えます。夕方は送り火を焚き先祖をお送りしてお墓参りをします。盆棚を解体し、供物をハスやサトイモの葉に包み川に流します。
 今年は新盆なので、8月1日は点(とぼ)し初(ぞ)めでした。親戚(しんせき)の者が集まり精霊棚(しょうりょうだな)を作り、燈籠に灯を点(とも)して点し初めをしました。31日までは灯を消さず、家の前には白い旗を立てています。31日の点し上げには、1か月点した燈籠や精霊棚をはずして、河原で焼いてから流すのです。」

写真2-1-17 山の神の火祭り

写真2-1-17 山の神の火祭り

小田町寺村。平成15年8月撮影

写真2-1-18 新盆の祭壇と燈籠(とうろう)

写真2-1-18 新盆の祭壇と燈籠(とうろう)

小田町寺村。**さん宅。平成15年8月撮影