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えひめ、その装いとくらし(平成16年度)

(1)手ぬぐいかぶりと鉢巻き

 手ぬぐいは、入浴時や汗ふき、手ふきなどだけでなく、頭にかぶるもの、あるいは鉢巻きとして使用されてきた。頭に手ぬぐいをかぶるのは、髪の乱れを防ぐ、日照りや風雨をしのぐ、虫や茨(いばら)を避けるなどの機能が考えられるが、古くは田植えの神事に早乙女(さおとめ)が手ぬぐいをかぶるように、神や人を敬う作法でもあったという(①)。また、鉢巻きは、烏帽子が落ちないように布でとめ、戦闘時の武装の一つとして始まったといわれている(②)。手ぬぐいかぶりは主に女性が、鉢巻きは主に男性が使用するのが一般であった。
 かぶり物全般について、生活者の視点から、今治(いまばり)市大浜(おおはま)地区の**さん(大正12年生まれ)、**さん(大正12年生まれ)、**さん(昭和2年生まれ)、**さん(昭和2年生まれ)、及び**さん(昭和9年生まれ)に話を聞いた。
 大浜は、高縄(たかなわ)半島の北東部で、東に来島(くるしま)海峡が広がり、しまなみ海道の来島大橋を目前にする位置にある。住民のほとんどは一本釣り漁業を生業とし、農業従事者は少ない。
 最初に女性のかぶり物であった日本手ぬぐいとタオル(*1)を取り上げる。手ぬぐいのかぶり方は、地域や個人によりさまざまで、明確なかぶり方の名称もない。頭に浅く載せるようにかぶり、後ろで手ぬぐいを縛らないのが「あねさんかぶり」、やや深く顔の両ほおをゆるやかに覆う程度にかぶり、後ろで縛るのが普通のかぶり方だが名称はない。さらに、かぶった手ぬぐいを顎(あご)の下でしばる「ほおかぶり」の3種類が一般的な使用法である。
 手ぬぐいはやがてタオルにとって代わられる。タオルが出回り始める時期について、**さんと**さんは、「私らが子どものとき、夏休みが来たらタオル作りのアルバイトをしていましたから、戦前からタオルはありました。泳いで帰ると、よそのおばさんがタオルの経糸(たていと)を両側に余らすように織ったタオルを持って来ていました。垂れた経糸を少しずつ結んで緯糸(よこいと)がずれないようにして残りを垂らすデザインでした。タオルの両端を縫うようになったのは戦後のことです。」と言う。後述する愛南町網代(あいなんちょうあじろ)の**さんも、昭和16年(1941年)ころにはタオルを使っていたと言う。タオルの使用はかなり早く始まっていたようである。**さんは、「冬は暖かいのでタオル、夏は手ぬぐいをかぶっていました。」と言う。
 どんなときに手ぬぐいをかぶるかは、漁業従事者と農業従事者で意見が分かれた。
 漁業者に聞いた。**さんは、「大浜は西風が当たらない所で、年中釣りができます。冬はホゴ(カサゴ)、スズキ、ヒラメ、夏はタイやアコウ(キジハタ)など色々の魚が釣れます。夏なら朝の4時から午後は8時まで釣っていました。女の方たちは冬は出ませんが、夏はご夫婦で一緒に釣っていました。」と言い、**さんは、「船の上には厚手の木綿布でできたテントがあり、日よけ雨よけにしていました。だから日中は大丈夫ですが、横から日が差すときはきついので、手ぬぐいでほおかぶりをして、その上に麦わら帽をかぶっていました。うちでは、掃除のはたき掛けのときなどほこりが舞いますから必ずかぶっていました。いつも緩やかに後ろで縛るかぶり方です。洗濯するときなんかもしていましたが、外では漁のときぐらいしか使っていません。日本手ぬぐいの方が長いし、縛りやすいし、かぶっても落ち着きがあったように思います。」と話す。手ぬぐいの変わった使い方として**さんは、「子どもを背負っていて、寝てしまったときに子どもの頭がガクッと後ろに倒れてしまいます。それで、子どもの頭の後ろに手ぬぐいを当てて、両端を負子(おいこ)(子どもを背負う用具)の紐(ひも)にくくったりしました。」と話す。
 農家は事情が異なる。畳屋と農業の兼業であった**さんは、「女の方たちは何をするにもかぶっていました。家事のときも、野良仕事のときも、ほこりよけや日よけでしょう。田んぼに入るときでも野菜作りのときでも必ずしていました。」と言う。現在(平成16年)でも麦わら帽とタオルの併用や、ほおを覆う布がついた麦わら帽や布の帽子は、野良仕事でしばしば見るところである。
 次に、男の鉢巻きも様々な縛り方がある。主なものでは、寿司(すし)職人などがよく使用する全体をねじって額の横で止める「ねじり鉢巻き」、激しい運動のときに後ろで縛る「後ろ鉢巻き」(写真2-3-3参照)、あるいは額の真ん中で止める「向こう鉢巻き」などはよく見るものである。
 鉢巻きの効用について**さんは、「汗止めの意味もありますが、むしろ気合いを入れるという意味合いが強いと思います。強くねじったりはしませんが、頭の横で止めていました。」と話す。同じ海岸部である網代の締め方と同じである。
 大浜の男たちは、夏はほとんどこの鉢巻きで仕事をした。横からの日射しが強いときには、麦わら帽をかぶった。しかし、冬の釣りは、時化(しけ)ることはないといっても、寒さは格別である。それなりの寒さ対策が施されていた。雨は前述のテントでしのげるが、横風の寒さ対策としては、船の周囲に苫(とま)(チガヤとわらで編んだもの。木綿製のテント以前にはこの苫をテントに使っていた時期もある。)を巡らしていた。さらに、顔は頭巾(ずきん)で覆っていた。地元ではこの頭巾を「ほおかぶり」と呼ぶ人が多い。**さんは、「私も『ほおかぶり』と呼んでいましたが、夫の話だと『玄海帽(げんかいぼう)』だそうで、九州の方から伝わってきたんだそうです。ネル(柔軟で軽くやや毛羽だたせた毛織物)を材料にして、筒状に縫い上げるんです。かぶる人の顔の大きさに合わせて筒の大きさを決めないといけません。大きすぎると、すきま風は入るし、風にあおられてバクバクするし、小さいと顔が出ません。長い筒になっていますから、これをかぶると顔だけ出て、耳も首も隠れます。不要のときには、下に降ろすと首巻きになります。」と言う。**さんは、「玄海帽は、10年位前まで使っていました。使わないのは、6月~10月くらいです。顔は全部出すのが普通ですが、伊達(だて)をする人は、目だけ出していました。今は毛糸の頭巾風のができましたから使わなくなりました。」と話す。
 農家の鉢巻きはあまりみられない。**さんは「鉢巻きは汗止めかな。横縛りにすると、ミカンの枝なんかに当たったときに落ちやすいから、手ぬぐいを二つ折りにして後ろ鉢巻きにする。私は農家だけど時々締めます。」と言う。


*1:手ぬぐいとタオル 材料は同じ木綿であるが、布地の表面いっぱいに綿糸の輪(輪奈(わな))があるのがタオル。最近の
  幅は共に35cm前後、長さは色々だが、手ぬぐいのほうが長い。

写真2-3-3 後ろ鉢巻きの一例

写真2-3-3 後ろ鉢巻きの一例

松山市上野町。平成16年10月撮影