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えひめ、その住まいとくらし(平成17年度)

(3)鏝絵②

 エ 鏝絵の取り外しと保存

 平成17年(2005年)7月22日~24日に、西条市旦之上(だんのうえ)と河之内(かわのうち)(どちらも旧東予(とうよ)市)の民家の鏝絵の取り外し作業を行いました。私と松山工業高等学校建築科の生徒4名そして松山の左官組合事務局長の**さんが作業に携わりました。
 今回の取り外しの対象は、当地に残っている鏝絵制作の代表格である名左官青野龍輔(明治元年~昭和25年)の作品11点です。彼は『りょうはん』と呼ばれて親しまれ、弟子も多く師弟の作品が近在に多く残っています。丸形の鏝絵の中心にどっしりとした構図で細部まで細かくきちょうめんに仕上げられているのです。色も鮮明に残っており、入江長八のように芸術的価値を求めたものではありませんが、稚拙なものではなくしっかりしたもので、当地の鏝絵を代表する貴重な作品です。22日はそれぞれの現場に足場を組み、実測調査をし、祭壇を用意しました。翌23日早朝、まず旦之上の**さん宅の取り外し作業を始めました。
 築後100年以上経過しているといわれる母屋(おもや)の梁木口の東に宝珠(ほうじゅ)があり、西に鯛(たい)背負い恵比寿(写真1-20参照)があるのです。宝珠の前の祭壇に榊(さかき)、御神酒などを供え、家の神様を拝み、昔の大工・左官に敬意を表し、作業の無事を祈りました。
 鏝絵の周囲をダイヤモンドカッターで切断します。梁木口、妻壁の様子と取り付け状況を見極めながら、ペンチ、ノコ、ナイフなどを使って、作品を損傷しないように慎重に取り外して行きます。取り外したものは、粘土や漆喰の崩落を防ぐため裏面から接着剤をスプレーしておきます。
 取り外し後の壁や屋根の補修をし、土砂などを取り除き、清掃をします。
 午後は同じく旦之上の**さん宅の西の梁木口の鯛(たい)抱き恵比寿の取り外しを行いました。この家は昭和8年(1933年)ころに建てられたものです。実は平成8年(1996年)の調査時に東の梁木口の鏝絵が行方不明になっておりました。平成16年(2004年)春、屋根の上に剥落(はくらく)して断片となって落ちていたのを発見し、洗浄して復元したところ、笑顔豊かな見事な大黒が出現したのです。この大黒と対(つい)となるのが、今回の鯛抱き恵比寿なのです。**家の繁栄を願う名人左官りょうはんの心意気を再確認できると思うのです。大黒に比べて恵比寿が落ちずに残っていたのは、母屋のすぐ西側に2階建ての納屋(なや)が建てられており、雨風を防いでいたからだと思われます。
 翌日は河之内の**さん宅の土蔵の鏝絵の取り外しを行いました。昨日同様作業の前に神様を拝みました。数も多く、梁木口だけでなく妻壁に直接描かれた火除け祈願の波ウサギなどもありますので、作業も複雑で慎重に取り組まなければなりませんでした。土蔵の梁木口には東に松と鶴、西に鯛背負い恵比寿(写真1-24参照)がありました。波ウサギにしろ鯛背負い恵比寿にしろ図柄はかなり格調の高いものです。
 取り外した鏝絵は細部の調査をし、必要があれば補修をします。現物に合わせて復元木枠の設計をし、木枠を作成します。木枠に納め、漆喰仕上げをして、旧東予市の郷土館に保存し展示します。

 オ ゆとりと心意気

 漆喰は呼吸をしながら固まって行くのです。下地に土壁を塗り、乾燥を待ってまた塗る。それを何度も繰り返し、漆喰になっても数回塗り上げ、塗ってから乾くまでに時間も手間もかかるのです。その間に近隣の人や施主と語らい、ときに酒を酌(く)み交(か)わすこともあったでしょう。大工にしろ左官にしろほとんどが地元の人で、仕事をするにしても徒歩で行ける範囲くらいに限られ、施主と職人も気心の知れた者同士であったと思われます。ゆとりの中で、施主と職人の意気が合い、家の繁栄を願って鏝絵が生まれてきたと思うのです。」

写真1-24 鯛背負い恵比寿の取り外し

写真1-24 鯛背負い恵比寿の取り外し

西条市河之内。平成17年7月撮影