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えひめ、その住まいとくらし(平成17年度)

(1)公営住宅に住まう②

 ウ 市営住宅について

 松山市の市営住宅の建設は、大正10年(1921年)の一万(いちまん)住宅(24戸)に始まる。戦前に建設された市営住宅は149戸であった。平成15年度松山市統計書によると、松山市内の市営住宅でこれまでに建設されたのは7,368戸で、うち3,025戸は譲渡・廃止・滅失し、現在管理されているのは4,343戸である。昭和20年代に建てられた市営住宅は、現在ほとんどが払い下げられ、一般住宅になっている。図表2-2-11と図表2-2-15を比較すると、県営住宅が松山市域の南東部に多く建設されたのに対し、市営住宅は市域の西北部に多く建設されていることがわかる。戦後間もないころに建設された住宅は、木造平屋建てが大半であったが、昭和25年(1950年)に南町に建設された桜荘(さくらそう)(6畳二間・台所・トイレ:居住専用面積33m²)は、最初の中層耐火建築(4階建て)の住宅であった。木造建築は昭和40年度まで続くが、昭和30年代末から簡易耐火(*5)平屋・簡易耐火2階建ての住宅(写真2-2-9参照)が増加し、昭和50年代になると3~5階建ての中層耐火建築が主流となる。6階以上の高層耐火構造の住宅は、平成6年度の太山寺(たいさんじ)住宅の建て替えから始まり、現在までに629戸が建設されている。現在中層・高層の市営住宅は3,844戸を数え、市営住宅の88.5%を占めている。昭和52年ころから建てられた中層耐火建築の住宅は、昭和20~30年代に建てられた木造建築が老朽化したため、それを建て替え(*6)たものであり、新規の市営住宅建設は昭和54年度以降なくなっている。
 住戸専用面積は、戦前に建てられたものは20m²台と手狭であり、昭和20~30年代に建てられた木造建築の住宅が30m²前後、桜荘など中層耐火建築の住宅で33~35m²程度であった。昭和40年代後半になると、富久(とみひさ)・三光(さんこう)(43.4m²)や太山寺(57m²)のように住戸専用面積が広がってゆく。昭和50年代に建てられたものは3DKで60~70m²、4DKでは70~80m²が主流となった。昭和60年代からは3DKで70~80m²、中には80m²を超えるものも登場する。最近の市営住宅は、太山寺(平成7年度築:3DK101.3m²)や与力(よりき)北(平成13年度築:2LDK101.9m² 口絵参照)のようにずいぶん広くなり、居住環境が良くなってきている。

 エ 県営住宅でのくらし

 松山市朝日ヶ丘(あさひがおか)にある県営朝美住宅(写真2-2-10参照)の**さん(昭和6年生まれ)に、県営住宅での生活について話を聞いた。県営朝美住宅(58戸)は、昭和35年(1960年)に建設された県下でも比較的歴史の古い県営住宅である。

 (ア)立地条件と団地の設備について

 「入居する際、まずくじ引きをして入居待ちの順番を決めました。早番でも場所が気に入らないので入居を拒否すると後回しになりました。年度内に決まらないと、次年度は最初からくじを引きなおすことになります。私は幸いくじで早い順番を引き、朝美団地が空いているという連絡があったので入居することにしました。入居したのは昭和45年(1970年)で、以来ずっとここで暮らしています。
 ここは伊予鉄の衣山(きぬやま)駅に近いため(約400m)、通勤に便利です。また、周囲に緑が多く空気もきれいです。JRの線路が近いため電車の音が聞こえますが、慣れれば気になりません。団地のすぐ前に食料品店があり、スーパーマーケットも近いので買い物に便利です。宅地化が進むにつれて、近くにいろいろな店や施設ができ、ますます便利になりました。私のいる3号棟は団地のほぼ中央に位置し、2階ということで場所的にも良かったです。
 住まいの南にはバルコニーがあり、日当たりがよく洗濯物がよく乾きます。各部屋の窓と出入口を開放しておくと風がよく通り、夏はクーラーなしでも生活できます。団地は狭苦しいイメージがありますが、隣近所の生活音はあまり聞こえず、窓から見る景色は広々としています。街中の家では、たとえ広くても民家が密集しているため、窓を開けると隣の家が迫っていますが、ここは南や北の窓をあけても見えるのは公園などで、逆に窓から見える景色は広く感じます。団地はプライバシーがないようで民家が密集する街中に比べるとプライバシーが保たれているのではないでしょうか。
 昭和53年(1978年)と平成15年(2003年)に自治会の会長をしましたが、最初のとき、県にお願いして改修したのが窓でした。それ以前の窓は鉄枠で、重たいうえ開閉時の音が大きかったのですが、これをゴールドの軽いアルミサッシにしました。ゴールドのアルミサッシになったのは、県営住宅では二つだけだったらしいのですが、落ち着いた色で気に入っています。ほかの県営住宅の窓がアルミサッシに替わったのはずっと後のことと聞いています。また、渇水により水圧が弱められ、4階の水道が出にくくなったことがありましたが、同じ家賃なのに不公平ということで県と交渉し、屋上にタンクを設置してもらったこともありました。
 このように何か困ったことがあると、そのたびに県が親身になって相談に乗ってくれたおかげで、今まで安心して住み続けることができました。
 入居した当時は若い人が多く、子どももたくさんいましたが、現在は少子高齢化が進みました(現在の入居戸数51戸のうち60歳以上の高齢者世帯が28戸と過半数を占めている。)。団地の公園はかなり広く、滑り台やジャングルジムなどの遊具や砂場があります。最初に自治会長をした当時は、子どもがたくさんいたので、砂場に新しい砂を入れ草引きもやりました。その後公園の半分は駐車場になりましたが、それでも公園はまだ広く、子どもが遊ぶには十分でした。現在は遊ぶ子どももほとんどいなくなり、遊具も錆(さ)びて使用できない状態で、本当に寂しくなりました。」

 (イ)間取りについて

 「現在は私の子どもも巣立ちましたが、入居当時は中学生と小学生だったため、北側の6畳の部屋を子ども部屋にしていました。2段ベッドを入れ、机を二つ並べ、本箱とタンスを置くと本当に狭かったです。台所は比較的広く、明るいので気に入ってます。台所の南には半畳余りの洗面所(シャワールーム)がありましたが、ここに自費で風呂(ふろ)を設置しました。公園には各戸の花壇スペースがあり、草花を育てることもできます。トイレは、当時一般の住宅は汲み取り便所の時代でしたが、県営住宅は最初から水洗であり清潔でした。収納場所は、2DKにしてはかなり広いスペースがあります。どの押入にも天袋があり、玄関にも物入れがあります。そのうえ別棟の物置(2軒で共同使用)があるので、収納場所には困りませんでした。」

 (ウ)住民同士のつながりについて

 「ゴミは団地の入口に出す所があり、住民はそこまで持っていきます。後は清掃当番がきれいに掃除をしています。清掃当番は半年に一度回ってきますが、これ以外にも水道料金、自治会費、町費を集める当番があります。朝美団地は、もともと各戸が水道局と直結でしたが、屋上に共同のタンクを置いて水道の大口メーターになったので、各棟階段ごとに住民が水道料金を計算し、集めて回っています。団地には、自治会長1人、会計1人、区長2人、環境整備係2人、水道料金計算係1人合計7人の役員がいます。役員は1年任期で、自治会総会で選ばれます。ここは58戸のこぢんまりした団地なので、みんなが仲良くまとまりやすいように思います。今度全面的にリニューアルされますが、設計図によると、現在のように五つの棟には分かれておらず、6階建て2棟(各30戸、中央にエレベーター設置)だそうですから、やはりこぢんまりしてまとまるのではないかと期待しています。」


*5:簡易耐火構造 主要構造部を不燃構造または外壁耐火構造とし、延焼の恐れのある開口部(窓やドア)を防火戸等とし
  た建設物のことである。耐火構造の建造物との違いは、鎮火後の再使用が可能かどうかで、簡易耐火構造は火災中の延焼
  防止に主眼を置き、鎮火後の再使用は想定していない。
*6:国土交通省の定める公営住宅の耐用年限は、木造住宅は30年、簡易耐火平屋は30年、簡易耐火2階建ては45年、耐火
  構造住宅は70年となっている。

図表2-2-15 松山市の市営住宅の分布(平成16年4月1日現在)

図表2-2-15 松山市の市営住宅の分布(平成16年4月1日現在)

図中数字は戸数を示す。松山市住宅課提供資料から作成。

写真2-2-9 簡易耐火住宅

写真2-2-9 簡易耐火住宅

松山市和泉。平成17年9月撮影

写真2-2-10 県営朝美住宅

写真2-2-10 県営朝美住宅

松山市朝日ヶ丘。平成17年9月撮影