データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、その住まいとくらし(平成17年度)

(3)学生の住まい①

 現在松山市内には、愛媛大学、松山大学などの大学、短大があり、17,000人余の学生が生活している。愛媛大学の場合、現在約9,700人の学生がいるが、その7割強が自宅外通学生であり、市内各所に下宿している。このほか松山市内には、各種・専修学校が約30あり、市内の高等学校にも下宿生がいる。特に城北地区は、明治・大正期に北豫(ほくよ)中学校(現松山北高等学校)、松山城北高等女学校(現松山北高等学校)、松山高等商業学校(現松山大学)、戦後に愛媛大学がこの地域に創設され、文教地区を形成している。城北地区でも特に学生が多いのが鉄砲(てっぽう)町と清水(しみず)町で、アパートや学生マンションが多く立地している。平成12年(2000年)の国勢調査結果によると、鉄砲町の住民のうち、15~24歳の割合は56.6%を占め、極端に多い(図表2-2-24参照)。
 自宅外通学生を支援するため、愛媛大学には現在御幸(みゆき)寮、拓翠(たくすい)寮がある。御幸寮のうち男子寮は、鉄筋5階建て66室で収容人数は264名、女子寮は鉄筋3階建て32室で、収容人数は128名となっている(1部屋の定員は4名)。拓翠寮は農学部限定の学生寮で、鉄筋4階建てで50室50名の全部個室の男子寮である。
 ところで松山市内には、かつて昭和27~44年ころの一時期松山学生会館という学生寮があった。昭和20年に設立された財団法人勤労学徒援護会(同22年に財団法人学徒援護会に改称)の事業の一環として全国11か所に学生会館が建設されたものの一つで、現在の愛媛県立保育専門学校の北側(御幸二丁目)に建設された。館内は基本的に2名1室で定員は47名であったという。
 松山市鉄砲町で昭和30年代から下宿屋を営んでいた**さん(大正11年生まれ)に下宿屋の仕事と学生のくらしぶりについて聞いた。ここは松山大学や松山北高校と隣接し、伊予鉄道市内電車の清水町電停にも近い。古くからの銭湯「清水湯」(開業70年)も徒歩1分程度の所にあり、各種病院や食堂、スーパーマーケットも近く、下宿屋としては絶好の立地条件の場所である。


図表2-2-24 鉄砲町の人口ピラミッド

図表2-2-24 鉄砲町の人口ピラミッド

平成12年国勢調査結果から作成。