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えひめ、その住まいとくらし(平成17年度)

(1)木造校舎あれこれ②

 イ 歴史を刻んだ時計台のある高等学校

 今治(いまばり)南高等学校は、住友別子銅山で採掘した銅鉱石を四阪島(しさかじま)で精錬した際に、当地方に多大な煙害被害をもたらし、その賠償金によって、大正15年(1926年)4月1日「今治市、越智(おち)郡波止浜(はしはま)町外34ケ町村組合立越智中学校」として開校された。昭和24年(1949年)9月1日に高校再編成により、愛媛県立今治南高等学校と改称され、現在に至っている。

 (ア)思い出多い学び舎

 越南会(今治南高等学校同窓会)の役員である今治市長沢(ながさわ)地区の**さん(昭和9年生まれ)に、当時の学校生活や使用した校舎などについて聞いた。
 「私は太平洋戦争が終わった直後の昭和21年(1946年)4月に、愛媛県立越智中学校に入学しました。長沢地区から通学したのですが、道路がでこぼこで歩きにくいので線路を歩いて行き帰りしました。蒼社川(そうじゃがわ)まで来ると広いグランドや農場が見えましたが、戦後の食糧難のためグランドは一面さつまいも畑になっていました。
 第1教棟(本館)は鉄筋コンクリート造りで、2階の上に時計台がありました。高くもなく、低くもなく、それでいてどこからでも見ることができるこの時計台は生徒たちの誇りでした。玄関を入ると中央に階段があり、1階の右側は職員室、左側は事務室と校長室となっていました。校長室には大正時代のシャンデリアが吊り下げられており、重厚な室内となっていました。
 第2教棟は木造2階建てでしたが、外側はモルタル仕上げとなっていました。1、2階合わせて普通教室が12教室あったのですが、何しろ当時は50人学級だったので教室は生徒でいっぱいでした。1階に下足箱があり、そこから裸足で上がっていたので、教室や廊下はきれいでした。また木造校舎は声がよく響くので、授業中の先生の声もよく聞こえました。
 第3教棟には理科室などがあり、化学室がホームルーム教室でした。1日6時間授業のうち半分は授業をしますが、残りの時間は芋作りなどの農作業でした。第3教棟の後ろの最も東側の教棟には、1階に図画室や茶華道室、音楽室、寄宿舎炊事室、食堂などがあり、2階が寄宿舎となっていて、島しょ部出身の生徒はほとんど入っていました。
 体育館は第1体育館と第2体育館がありました。第1体育館はバスケットボールの授業や柔剣道部が部活動の練習に使用し、第2体育館も雨天時にはバレーボール部やバスケットボール部などが使用していました。特に第1体育館は最も古い建物で、建築技術もすばらしく丈夫なために、現在も柔道場として使用しているようです。
 入学式や卒業式、集会などは講堂で行っていました。この講堂にはピアノが1台置いてあり、音楽の授業もここで行われ、2クラスの生徒100人ほどがいっしょに受けました。」

 (イ)農業科への思い

 松山市竹原(たけわら)町の**さん(昭和10年生まれ)に、本館・校舎・農場などの思い出や木造の新校舎について聞いた。
 「今治南高校には昭和25年4月から28年3月までの3年間在学しました。当時亀岡(かめおか)中学校(現今治市立菊間(きくま)中学校)では、生徒80人程度のうち4、5人しか高校に進学しませんでした。食料難の時代で、私は農家の長男のため『農業科に行こう。』と決心し、今治南高校の農業科へ進学したのです。
 太平洋戦争で今治市内の73%が焼失したため、通学途中にある建物はほとんどがトタン屋根のバラックでした。
 今治南高校の本館は鉄筋コンクリート造りで、焼野原の中にしっかりと残っている姿が印象的でした。本館の2階は図書館でしたが、最も北側に一教室だけあり、そこで社会科の授業を受けるのがあこがれでした。また立派な時計台も誇りでした。
 ホームルーム教室は第2教棟の教室で、普通科の生徒と一緒でした。授業もこの教室で主に受けましたが、授業中でも大工さんが修繕に来たりしていました。のんびりした時代だったのです。教室や廊下の窓枠は鉄製で、外側に押し開けるようになっていました。またガラスが割れたときには業者に修理してもらわなければならず、時間がかかるためによく馬糞紙(ばふんし)(厚紙)を貼っていました。体育館では授業のほかに身体検査も行われていました。
 運動場の東側には農業科教室や農場管理室、実習室などがあり、農業科目の授業はここで受けました。ここの教室へは上履き(スリッパ)ではなく、土足(地下足袋)のままで上がっていました。入学した年の1年間は、水田の中に落ちているガラス類などの危険物の除去作業ばかりやっていたように記憶しています。校長官舎や農場主任の宿舎も農場の西隅にありました。当時の地域の人々の農業に対する思い入れは大変なものがありました。
 先日、新しい木造の校舎を見回らせてもらいましたが、木の香りや温もり、暖かさなど私自身何か忘れていたものを取り戻したような感じがしました。学校は健康面でも木造校舎が良いと思います。今後とも木の文化を大切にしていきたいですね。」

 (ウ)特色ある校舎・施設

 越南会の事務局の仕事を長年続けている、今治市高橋(たかはし)地区の**さん(昭和15年生まれ)に、在校当時に使用した校舎や建物、新築された木造校舎について聞いた。
 「私は桜井(さくらい)中学校(現今治市立桜井中学校)を卒業後、昭和31年に今治南高校に入学しました。中学校は木造校舎でしたので、鉄筋コンクリート造りの本館を見て重厚さに驚きました。
 ホームルーム教室は第2教棟の2階にありましたが、木造校舎といってもモルタル仕上げがされていて、『立派な校舎だなあ。』と思ったものです。授業はほとんどホームルーム教室で受けましたが、理科の授業は第3教棟の階段教室で行われ、中学校にはなかったので珍しく感じました。
 3年生になるとホームルーム教室が本館の2階になりました。最も南側の教室で、廊下を取り込んでいたので広くてよかったのですが、入り口が教室の前に1か所しかなく、遅刻をすると教室全員の視線を浴びて、はずかしい思いをしなければなりませんでした。講堂では式典、集会、弁論大会、生徒会活動などが行われ、また毎年11月3日には菊花展も開催されていました。」
 しかし、鉄筋コンクリート造りの本館と木造校舎の第2教棟は、老朽化のため取り壊され、平成15年に県産材のヒノキやスギをふんだんに使用し、伝統ある菊間瓦を使った第2教棟が建築された。続いて平成16年には同様に立派な本館が完成した。
 新しい本館について**さんは、「明るくて立派な本館(写真3-26参照)ですが、当初は土足に慣れていたため上履きに履き替えることがわずらわしいと感じました。しかし慣れると快適で、非常に気持ちが良いです。古い建物は鉄筋コンクリートで夏は暑く、冬は底冷えがするような寒さでしたが、木造の建物は夏は涼しく、冬は温かみがあります。来校者も口々に『木の香りがしていいですね。』とか『すばらしい建物ですね。』などと言ってくれます。」と話す。

写真3-26 木造の新しい本館

写真3-26 木造の新しい本館

今治市常磐町。平成16年建築。平成17年7月撮影