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えひめ、その住まいとくらし(平成17年度)

(2)町並み保存や地域おこし①

 ア 岩松地区の町並み保存・地域おこし

 宇和島市津島町岩松(いわまつ)地区は宇和海に面し、岩松川が北灘(きたなだ)湾に注ぐ河口に位置する。津島町の中心地で、かつては当地方の物資集散地であった。同地区には江戸・明治期からの歴史ある家屋や酒造場などが多数残っており、町並み保存や地域おこしに行政と民間が一体となって取り組み始めている。

 (ア)岩松商店街の再興を願う

 宇和島市津島町岩松地区の**さん(大正8年生まれ)、**さん(大正15年生まれ)に岩松商店街のかつての賑わいや古い商家の様子、現在までの変貌(へんぼう)、地域おこしなどについて聞いた。
 「昭和初期の岩松商店街は津島町の中心で、乗り合いバス(三共自動車)が走り、穀物や木炭を運ぶ荷馬車が行き来し、人々の往来も多くてそれは賑わっていました。津島町の御槙(みまき)や清満(きよみつ)地区から米・麦・豆類・木炭・ハゼ・繭などが、下灘(しもなだ)や北灘地区からは魚類が運ばれてきて、物資の集散地となっていたのです。大きい魚市場もありました。当時は川が深くて、新橋近くまで潮が上がってきていたので、主に小舟を使って運搬していました。また荷馬車で運んだ穀物や木炭は、片平(かたひら)町(現港町)から船に乗せて運び出していました。昭和4年(1929年)には内子町にある内子座より大きいといわれた劇場の緑座が完成し、多くの人々が楽しみました。この賑わいは戦前から戦後しばらくの間続き、そのため料亭や置屋(おきや)(芸娼妓(しょうぎ)を抱えておく家)なども数軒あり、芸者も30人以上いました。
 このように栄えたため、岩松地区には古くて大きい商家などがたくさんありました。西村・小西・阿部酒造場、内山・西崎・土居・山本醬油(しょうゆ)醸造元、松田・和田・菊屋荒物店(米・麦・豆類・砂糖・小麦粉などの食料品販売店)、江口呉服店などがあり、私の家も100年ほど経(た)っています。西村酒造場は、時期がくると10人ほどの杜氏(とうじ)がやって来ていました。番頭・店員・お手伝いさんなども忙しく働いていました。
 しかしこの岩松商店街は、昭和26年(1951年)の松尾隧(ずい)道掘削による宇和島への所要時間の短縮とか国道56号の改修などのために倒産する商店が続き、また新しい商店が進出してくるなど変化が起こりました。
 『交通が便利になると岩松地区は寂れてしまう。』と言われていましたが、以前は夜遅くまで人が集い、商店も明々と電気をつけて商いをしていましたが、現在は人通りがほとんどありません。本当に寂しくなってしまいました。なんとかこの商店街が、かつてのような賑わいのある活気を取り戻してほしいと願っています。」

 (イ)「町並み保存」を生きがいにして

 宇和島市津島町岩松地区の**さん(昭和19年生まれ)、**さん(昭和30年生まれ)と増穂(ますほ)地区の町職員**さん(昭和40年生まれ)に岩松地区で取り組んでいる町並み保存や地域おこしなどについて聞いた。
 「岩松地区には江戸や明治期の歴史ある家屋や酒造場が多数残っています。明治期のころに建てられた西村酒造場には使われていない酒蔵(写真3-36参照)や納屋、酒造民具類(写真3-37参照)などがあり、『もったいないなあ。』とか『この酒蔵を何とかしてみんなで使える場所にできないだろうか。』などという町民の声が5年くらい前(2000年)から聞かれ始めました。
 そこで地域の要望を受けて、町当局が所有者と連絡を取りながら、『どういう使い方があるか。』を検討して方向性を出しました。それが『蔵開きプロジェクト』という調査報告書です。その中には岩松地区は古い建物が多く残っているので、蔵だけのモデル事業にしないで、全体を面として考えながら、町並み保存を柱に置いたらどうかということが示されています。
 そこで平成14年(2002年)ころから仲間づくりを始め、学習を重ねながら、先進地である福岡県八女(やめ)市やその隣の黒木町、大分県玖珠(くす)郡玖珠町などへ出向いて視察や調査を行いました。しかし視察した先進地では、広大な土地の中にぽつんと1か所だけ町並みがあるのに対して、岩松地区の場合は川に囲まれて情緒があり、背にする天(てん)ケ森の小山や岩松川の川辺の自然に似合って優れた景観を形成しており立地条件には恵まれていると思います。
 岩松地区には、幕末から明治にかけて酒造・製塩・製蠟(せいろう)・製糸・金融・廻船(かいせん)など幅広く事業を行い、豪商として名を馳(は)せた小西家があり、広大な土地や建物を多数所有していました。この小西家に少しでも近づこうとして、他にも大きな商人などが出てきたのです。このような商人の民家や商店、酒造場など江戸から昭和初期の時代に建造された建物が数多く残っています。
 商家は通りに面しているために間口が狭く、奥行が長くて、奥に庭や家人の住まいがあるのが一般的ですが、ここは用水路の関係で奥に伸ばすことができないため、2階に座敷を構えているところが多く見られます。座敷の天井は船底(ふなぞこ)天井(写真3-38参照)とか曲面(きょくめん)天井などといわれ、柔らかい木を丸く曲げて作られています。こうすることによって、天井をすこしでも高くして、お客さんをゆったりした気分でもてなしたのではないかといわれています。さらに続き間になるように工夫されて建てられており、ふすまを外すと広い部屋になり、多くのお客さんに対応できるようにもなっています。

写真3-36 西村酒造場の酒蔵

写真3-36 西村酒造場の酒蔵

宇和島市津島町岩松。平成17年9月撮影

写真3-37 酒蔵に残る酒造民具類

写真3-37 酒蔵に残る酒造民具類

宇和島市津島町岩松。平成17年9月撮影

写真3-38 船底天井

写真3-38 船底天井

宇和島市津島町岩松。平成17年7月撮影