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えひめ、子どもたちの生活誌(平成18年度)

(1)進む少子化

 厚生労働省が平成18年(2006年)6月1日に発表した『2005年の人口動態統計』によると、合計特殊出生率(人口統計において一人の女性が一生のうちに産むと推定される子どもの数)が「1.25(*1)」人となり、翌6月2日の朝刊の見出しには、「1.25ショック」とか「出生率最低1.25」などの活字が躍った。
 一般に長期的に人口が安定して維持できる水準の合計特殊出生率(人口置換水準)は、「2.1(国際連合の示した数値)」であり、日本の人口置換水準としては「2.08」とされている。日本の合計特殊出生率が「2.08」を下回ったのは昭和49年(1974年)のことであり、その後30年余りを経た今年(平成18年)には、ついに人口の自然減少という戦後初めての状況を迎えたのである。
 しかし、かつてわが国が第1次ベビーブームを迎えていた昭和22年から24年(1947~1949年)にかけては、年間260万人以上の出生者があり、出生率33~34.2‰(パーミル:千分率)という高さを維持した。昭和22年の合計特殊出生率は「4.54」を記録していたのである。その後、出生率の低下は急速で同32年には17.2‰となり、昭和30・40年代の「高度経済成長期」には合計特殊出生率が2.13前後の安定した数値で推移した。そして、第2次ベビーブームと呼ばれた昭和48年(1973年)の合計特殊出生率「2.14」(出生数約209万人)を境に今日の我々が直面している状況が静かに進展してきたのである。
 21世紀に入ってもなお出生率の低下は継続しており、少子化(総人口に占める子どもたちの人口の割合が低下すること。合計特殊出生率が人口置換水準を相当長期間にわたって下回る状態をさす。)は高齢化社会(老年人口が人口割合の7%を超えている社会のこと)の到来とともに社会問題化し、この国の在り方を揺るがしかねない事態となっている。
 試みに昭和25年から平成17年におけるわが国の年齢別人口割合の推移を表したのが、図表序-2である。
 図表序-2からも読み取れるように、進展している少子化と高齢化の状況がさらにはっきりと浮かび上がってくる。例えば、全人口に占める15歳未満の人口は、昭和25年には35.4%もあったが、平成17年には13.7%まで減少している。逆に老年人口は増加を続け、平成17年(2005年)の国勢調査では、人口の5人に一人以上が65歳以上という超高齢社会(老年人口が人口割合の20%を超えている社会のこと)へと突入したのである。
 少子化を招く出生率の低下の要因については、非婚や晩婚、高齢出産など出産以前の理由とともに子育てや教育など出産後の理由が挙げられることが多い。


*1:1.25 厚生労働省は、その後平成18年11月30日に、平成17年の合計特殊出生率が「1.26」で確定したと発表。ちなみ
  に愛媛県の合計特殊出生率の確定値は「1.35」となった。


図表序-2 日本の年齢別人口割合(昭和25年~平成17年)

図表序-2 日本の年齢別人口割合(昭和25年~平成17年)

愛媛県統計課提供資料から作成。