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えひめ、人とモノの流れ(平成19年度)

(1)国道56号の交通はどう変わったか

 松山市と南予圏域を結ぶ国道56号は、かつての大洲街道・宇和島街道と一部重なり、江戸時代から人の行き来も多かった。しかし、山がちでしかもリアス式海岸で海岸まで山が迫る地形は、県内の道路交通の中でも指折りの難所を多く存在させることになった。特に標高の高い峠を越えるには多大の時間を要した。当時運転していた人の話によると昭和40年(1965年)には、松山-宇和島間は5時間以上かかっていた。昭和45年(1970年)に国道56号第1次改修が終了(⑫)し、かつての危険な峠道の箇所がトンネル開通により安全かつ短時間で結ばれた。
 昭和50年の時刻表によると、松山-宇和島間は高速バスが2時間半で結んでいる(⑧)。2007年現在では同区間の高速バスは、高速道路を利用し2時間である。所要時間は国道改修前と比べて半減している。
 図表1-1-13で国道56号の交通量について、昭和43年と昭和46年の数値を比べてみると、各地点の交通量がほぼ倍増したことがわかる。特に大洲市中村と宇和島市和霊の交通量の増大が著しい。昭和52年までの全般の伸びも大きい。全県的な自動車保有台数の増加もあるが、昭和45年前後の国道56号の改修でアクセスが向上したため、乗用車の利用が増えたと考えられる。現在は、宇和島市までの高速道路の延伸や混雑する市内を迂回(うかい)するバイパスの完成により、南予の道路交通はさらなる飛躍の時期を迎えている。かつての旧道の峠は通行する人もほとんどいないが、(2)では旧道の峠をとおしてかつての交通の状況を探った。


図表1-1-13 国道56号、主要地の交通量の推移(24時間)

図表1-1-13 国道56号、主要地の交通量の推移(24時間)

道路交通センサス・『大洲工事50年史(⑫)』から作成。平成18年のデータは大洲河川国道事務所ホームページデータによる。高速道路・バイパス(大洲・宇和島)開通のため平成18年の数値は減少している箇所がある。