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えひめ、人とモノの流れ(平成19年度)

(1)急速な都市化①

 ア 人口の急増

 石井地区の人口は、昭和30年代後半から急激に増加し始める(図表2-2-4参照)。昭和35年から55年にかけて石井地区の人口は年平均10%前後も増加し、松山市内で最も高い増加率を示した。石井地区内の町別に人口を見ると、戦後、昭和40年までは和泉(いずみ)や東石井など北部の町で増加しているが、昭和40年から60年までは、西石井や古川(ふるかわ)、居相(いあい)、北井門(きたいど)といった南部の増加が著しかった。
 石井地区の産業別人口構成を見ると(図表2-2-5参照)、昭和30年には就業者の56.6%が農業だったが、昭和45年には15.1%、平成12年には1.2%と急減した。この間、全体の人口は約7倍に増加したが、農業就業者は1,780人から334人と、5分の1以下に減少している。

 イ 住宅団地を核に進んだ宅地化

 石井地区で宅地化が進むきっかけとなったのは、公営住宅の建設である。公営住宅が本格的に建設されたのは、石井村が松山市に編入された昭和37年(1962年)に建設が始まる県営東石井団地(204戸)と昭和38年建設の市営和泉団地(92戸)からである。その後、昭和40年代に公営住宅や公営分譲住宅の建設が相次ぎ、現在までに市営住宅649戸、県営住宅345戸、松山市住宅協会の住宅287戸、愛媛県住宅供給公社の住宅367戸の合計1,648戸が建設されている(図表2-2-6参照)。
 昭和46年(1971年)に松山市広域市街化区域が設定され、その後数度の変更を経て石井地区のほとんどが市街化区域(*1)となり、急速に宅地化されることになった。民間のアパート、マンションの分布状況を見ると、大規模なものは、南部環状線や、国道、県道沿いの交通の便の良い所に分布しているが、29戸以下のものは全体に広く分布している。
 昭和28年(1953年)と平成11年(1999年)の地形図を比較すると、田園地域のほとんどが宅地化されていることがよくわかる。


*1:都市計画区域では、まちが無秩序に広がっていくことを防ぎながら計画的なまちづくりを行うため、すでに市街地になっ
  ている場所や計画的に市街地にしていくための「市街化区域」と市街化を抑えるための「市街化調整区域」の二つに分け
  ている。

図表2-2-4 石井地区の人口推移

図表2-2-4 石井地区の人口推移

『わが郷土石井の今昔そして未来へ』から作成。

図表2-2-5 石井地区の産業別人口構成

図表2-2-5 石井地区の産業別人口構成

松山市統計書から作成。

図表2-2-6 石井地区の公営住宅

図表2-2-6 石井地区の公営住宅

愛媛県建築住宅課、松山市住宅課資料ほかから作成。図中( )内は建設年を示す。例:(s38)昭和38年建設。