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えひめ、人とモノの流れ(平成19年度)

(5)林道の整備

 「昭和17年(1942年)ころから軍用材の供出道として林道の開発が進められていました。しかし、幅2m内外の道で人、牛、木馬を利用しての積み出しに役立つだけのものでした。戦後、オート三輪車・トラックが運搬の主役をするようになると、これらの林道はその用をなしませんでした。昭和27年(1952年)ころから森林組合が中心となり植林事業・造林事業がすすめられていく中で基盤整備の一環として、林道が開発されていったのです。
 肱川の場合は林道に関しては、計画から施工まですべて町から森林組合に任せてもらっていたのです。トラックなどの入る大きい林道に、国の助成が得られることになり、奥地林道が急速に開発され、昭和43、45年に第一次林業構造事業として、4地区合計5,560m、昭和49-52年に2地区7,880mが開設、整備されました。また昭和57年(1982年)から平成元年(1989年)には新林業構造改善事業として6地区合計9,574mが整備されました。
 また国とは別に、県単、町単の事業もありました。これらは地域の連絡道として、施工されてゆきました。後には林道で開設したものが町道に昇格していきました。というのは、林道では舗装の予算が付かないので、町道にして予算を付けて舗装すれば、地域交通の利便が向上するからです。こうして林産物の搬出、運送の効率が順次上昇し、林業経営の近代化が進められてきたわけです。」