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えひめ、女性の生活誌(平成20年度)

(1)焼畑の村に生まれる

 「焼畑とは、山地の樹木を伐採しそれに火入れをして得られた草木灰を唯一の肥料として作物を栽培する畑である。(①)」肥料を施さないので数年間続けて耕作すると地力が減退して作物の出来が悪くなる。そこでまた、新しい山地に火を入れて耕地をつくる生産の様式である。四国山地は全国的にも焼畑が広く見られる地域として知られており、特に愛媛県から高知県にかけての県境山間部が焼畑の盛んな地域であった。なかでも旧柳谷村は、県内でも最も焼畑耕作の盛んな地域であった。主な栽培作物は、トウモロコシ、ソバ、アワ、キビ、ヒエ、麦、大豆、小豆、茶、ミツマタである。焼畑について**さん、**さん姉妹は次のように話す。
 「私たちは柳谷村の百景市(ももがいち)(百ケ市)で生まれ育ちました。私らが子どものころは、雑木山を全て伐って焼畑をしていました。最初は小豆か大豆を植えて、次の年にトウキビ、そしてヤナギ(ミツマタ)を植えていました。焼畑は頻繁に行われていました。昭和20年代後半に、ソバ藪(やぶ)(ソバ畑)を開くために雑木や草を刈りにいったことがあります。山焼きは危ないので女の人は行きません。山焼きの後には、ソバをまきました。5升(約9ℓ)のソバをまいて5石(約900ℓ)の収穫がありました。実家では、それが焼畑の最後でしたが、柳谷では昭和30年(1955年)ころまで行っていたと思います。
 焼畑はしなくなったのですが、ヤナギは昭和30年ころまで作っていました。ヤナギは1度植えると20年ぐらい収穫することができました。それから、カミソ(コウゾ)が畑のきわにずらっと植えてあって、秋になるとヤナギと一緒に切りとっていました。カミソは、ヤナギよりも値段が安かったと思います。」