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愛媛学のすすめ

「生活文化」とは

 早いもので、10月も半ばを過ぎてしまいましたけれども、11月3日は文化の日であります。申し上げるまでもないことですけれども、この日には文化勲章の受賞者も決まってまいりますし、文化功労者といったような方々も、栄えある席にお着きになると思うのです。同時に、秋は「芸術の秋」とも言われていて、方々で絵の展覧会があったり、コンサートが始まったり、それから学問の世界では、学会シーズンでございます。学問とか芸術とか、私どもがふだん考えている意味での、いわゆる文化というものをもう一度考え直すのに、大変いい時期なのでございます。ただ今日ここで問題になります「生活文化」というのは、そうした優れた芸術家、学者、科学者、いわゆる文化人といったような人々によって表現されているような文化ではなくて、私どもの日常の文化、これを生活文化と一般に呼んでいるわけですが、これが一体どういうものなのであろうかということと、それから今日のお話は愛媛学、このパンフレットを拝見しますと、愛媛学という言葉の後に、クエスチョンマークがついているので、愛媛学というものが、どのような形で成立し得るのであろうか。これは後で、パネルディスカッションの先生方、昨晩も御一緒しまして、談論風発したのでございますけれども、それの多少前座になりそうなことを、二、三申し上げたいと思います。
 この「生活文化」という言葉が、私どもの身の回りで少しずつ聞こえ始めたのは、ここ20年ほどのことではなかったかと思います。愛媛県は、非常に早くに、生活文化局という局をお作りになった、日本では数少ない自治体の一つでございます。その意味では、大変先見性に感服するわけですけれども、そもそも生活文化というのは一体何なんだろうかということを、ちょっと振り返ってみたいと思います。
 先程申しましたように、私たちは一般に文化という言葉を聞きますと、職業的な芸術家だの、あるいは学者だの、先程申し上げましたかぎかっこつきの「文化人」といったような人々によって作られていく文化のことを、すぐに思い浮かべます。今朝拝見しました、この美術館に収蔵されている作品も、そうした職業的な芸術家の方々の作品であることは、申し上げるまでもありません。
 それに対して、生活文化というのは、そういう職業的という言葉が適切かどうか分かりませんけれども、そうした創作活動、創造活動をもってなりわいとする、なりわいとするという言い方も良くありませんが、要するにプロの文化ではなくて、アマチュアの文化だというふうに、私はとらえていきたいと思っています。
 つまり、この愛媛県、とりわけ松山は、大変俳句の盛んな所ということを伺っておりますし、今朝も子規記念博物館に伺いまして、いよいよその感を深くしたわけです。実際の御職業としては、八百屋さんをやっていらっしゃったり、あるいは魚屋さんをやっていらっしゃったり、銀行員であったり、職業は様々でありますけれども、そうした自分の本来の仕事の片手間ではありませんけれども、十分にこなしていくと同時に、その人々がいわばアマチュアとして文化活動に参加していく。そうした文化活動並びにその成果みたいなものを生活文化という言葉で呼んでよろしいのではないか。
 絵かきさんの場合ですと、必ずしも描いた絵を売ることが目的ではありません。けれども、少なくとも結果として、その絵が画商の手に渡って、画家としての職業生活ができる。これは職業的な画家でございます。
 あるいは音楽家にしましても、自分自身で作曲し、あるいは作詩をし、編曲をし、そしてステージの上で公演をなさる。これはそれが職業でございます。そのことによって、舞台芸術家、あるいは音楽家としてのお仕事をなさっているわけでございます。
 それに比べますと、カラオケというのは、このごろ全盛でありますが、私たちがふだん自分の仕事をしながら、同時に時にはマイクも握ってみようかというので、あまり上手でもない歌を聞かせて、おおむね人迷惑でありますけれども、そういうことをなさるのも、これも生活文化であろうと思います。