データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛学のすすめ

担い手は県民すべて

 そこで、この本来のテーマでございます「生活文化の担い手たち」ということですが、今まで申し上げたことから、もうすでにお分かりのように、生活文化の担い手たちというのは、私たち自身をおいて他にはありません。
 愛媛県民、150万の全てが、実は生活文化の担い手なのです。高級文化の担い手というのは、これは一応数と言いますか、およその見当はつきます。大学教授の数、だいぶインフレになりまして、全国で大学教授の数が16万人おりますから、大学教授だとかいって、あまり偉いわけではない。今日おいでになる方は、皆さん立派な方でございますけれども、何しろ16万人いるわけです。16万人というのは、その母数になっているのが1億2,000万人ですから、それから見ますと、大学教授というのは、これは専門の学者、職業人であります。絵かきさんが何人いるだろうか。詳しい統計はございませんけれども、絵筆一筋で職業生活をたてている人、これはせいぜい数万人でございましょう。陶芸家、あるいは染色の芸術家、彫刻家、さまざまなそういう文化的職業についている職業人というのは、全国あわせて100万というところでしょうか。1億2,000万人から見ますと、大まけにまけても100分の1程度のものでしょう。
 それに対しまして、生活文化の担い手たちというのは、その人たちをも含めての1億2,000万の日本人全員でございます。あるいは愛媛県について言いますならば、150万人の県民全体でございます。ですから担い手たちが誰かという答えは、極めて簡単なのであります。それでは生活文化の担い手である私たちは、今から何をしなければならないのか、どういうことが要求されているのか、といったようなことを、次に二点ほど申し上げたいと思います。
 その第一は、この建物自体が愛媛県生涯学習センターという名前で呼ばれておりますように、先程のハレとケの二分法から申しますと、毎日が学習の日であるような生活が設計できないだろうか、ということでございます。
 生涯学習論というのは、行政的なお話をしてまいりますと、俗に昔から、文部省が生涯学習なんて言う前から、「六十の手習い」という見事なことわざがございました。ユネスコがこう言ったとか、文部省の生涯学習局の何とか課長がこう言ったとか、それで生涯学習なんていうことを言うはるか以前に、江戸時代の初めの初めから、六十の手習いという立派なことわざがあったんです。それをお役所言葉に直すと、生涯学習ということなのでありまして、役人の考えることなんて、大したことはないのであります。
 そう言うと、センター長さん以下、御機嫌が悪いかも知れませんけれども、一言で言うならば、生涯学習というのは六十の手習い。六十でなくて、3歳の手習いであってもよろしいのです。つまり、人間というのは、生まれた時から死ぬまで、何か一つでもいいから新しいことを毎日学んで、そしてそれが翌日からの自分と今日の自分とを区別することができるような、そういう設計意欲というものを、どうやら持っているらしいんです。昨日もこうだった、今日もこうだった、また明日もこうだったろう。そんな詩のようなものもございますけれども、確かに太陽が東から昇って西に沈むというのは、これは毎日平々凡々としたことです。しかしある日、何かをちょっと勉強して、今日はこれだけ物知りになったな。昨日より今日の自分の方が、少し知恵がついた。そういうことを感じる喜びというのは、誰にもあるはずです。
 先程、私はアンリ=ルソーのことを申し上げましたけれども、かつてバルセロナオリンピックで、これだけバルセロナという町が有名になる以前に、バルセロナの町を訪ねてピカソ博物館という所を見に行きました。ピカソ博物館はバルセロナにもパリにもございます。しかし、生まれた所はバルセロナですから、あちらの方が本格だと思うんですけれども、行ってみますと、ピカソがやはり6歳のころに書いた小さなスケッチのような物が残っているんです。ピカソが6歳のころから、ああいう絵心があったというのは、大変驚いたことでございました。それが年を経るにしたがって、画風も違ってきます。もちろんだんだん上手になっていくわけですけれども、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、ピカソは恐らく、3歳か4歳の時に、初めてクレヨン、あるいは鉛筆を手に握った時から、80歳に至るまでの画業の時間の経過の中で、今日書いたあの線よりは、もうちょっと面白い線ができないだろうかというようなことを考えながら、きっと毎日寝たに違いないんです。
 ピカソなどという外国の人でなくて、今日の正岡子規の博物館を拝見いたしましても、子規の小学校のころからなかなか絵筆も達者だったことを知って、大変感銘を受けました。子規にとっても、今日作った句が果たして良かったのか。人生の中で、句を何千何百とお作りになって、その中で自分の気に入った句はもちろんあるんでしょうけれども、これをテニオハをこういうふうに置き換えた方が良かったかな、こっちの方がいいかな、そんなことを考えながら、明日の自分は今日の自分よりは、もうちょっと良くなっている。明日の自分は今日の自分よりもうちょっと良くなっていたいなという、そういう気持ちがあればこそ、子規のあの仕事もできたに違いありません。
 自分はこれで完成したと思った時に、人間はもうそこで人生は、体の方では健康であっても、精神の方では、もう終わりだと私は思います。
 学者先生は、確かに物知りだとされております。実際物知りなんです。専門の学者というのは、一般の生活者が知っている以上の専門知識を持っておられます。そういうことに、私は大いに敬服するわけでございますし、私も自分の専門領域については、いささか普通の人よりはものを知っていると思っております。
 しかし、振り返ってみれば振り返ってみるほど、自分の知識がいかに不完全かということに、毎日気が付きます。皆さんも恐らく、そういうふうにお考えになりますならば、そうだとお思いになるに違いありません。
 何しろ世の中に、私たちは知っていることより知らないことの方が多い。こういうことを申しますと、大変キザに聞こえるかもしれませんけれども、アイザック=ニュートンという有名な物理学者がおりました。重力の法則の発見で有名な人ですが、アイザック=ニュートンが晩年に残した非常に有名な言葉を、私は中学生のころに初めて覚えました。そして大変感動したのであります。
 ニュートンは、あれだけのニュートン力学の体系を作って、当時の物理学の中では、大変な素晴らしい科学者であったわけですけれども、彼は自分自身をたとえて、「自分は大海を目の前に見ながら、砂浜で砂利を二つ三つ拾ってもてあそんでいる少年のような者であるに過ぎない。」という有名な言葉を残しています。つまり知らないことの方があまりにも大きいのです。しかしそのごく手近な所で、二つ三つの石ころをいじくって、その石ころの性質が分かったということで、満足しているのではいけない。それ以上に、二つ三つの石ころとは比べものにならないほど、知らない部分の方が大きいのだということを、ニュートンは言い残しました。
 そんなふうに考えてまいりますと、私たちの毎日の営みというのは、実はそのような知らないことについての好奇心と、それから挑戦欲のようなものではないかと思うのです。知らないこと、あるいはできないこと、それができるようになることの喜び。あるいは知らなかったことを知る喜び。これは2、3歳の小さな子供から、死ぬまで続くはずのものです。そのことをこのごろでは生涯学習という言葉で呼ぶわけです。