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愛媛学のすすめ

*プロとアマチュアが一緒になって

米地
 先程も申しましたように、東北というのは、とかく暗いというイメージがあって、東北の人は黙々と働くというふうに、よく言われるわけです。それでまず山形学も含めて、山形の生涯学習というのは、楽しく遊びたい、というところから実はスタートして、山形学もその中に位置づけられているわけです。
 ここの建物は、愛媛県生涯学習センターという名前のようですが、山形もこれとほとんど同じ名前がついております。山形と名が変わっただけでございます。ただし、山形の場合は、こういう建物に県立図書館が一緒に入りまして、これは異例なことなんですけれども、合わせて「ゆうがく館」という名前をつけました。ゆうは遊ぶです。がくは学ぶ。学を遊ぶ館です。そういう名前をつけたんです。
 東北は、とかく暗く内にこもりがちであるんです。例えば先程来、俳句の話が出ておりますけれども、この松山を中心に西南日本が俳句の国であるとすれば、東北日本はやはり短歌の国でございます。例えば山形は斎藤茂吉が生まれ、それから岩手は石川啄木が生まれたところですが、この人たちの歌は、重く暗いのです。
 啄本に見られるように、東北人というのは、一種のカタカナ言葉で言えば、アンビバレントな郷土感を持っております。つまり一方では郷土が恋しい。「かにかくに渋民村は恋しかり…」と啄木が歌います。ふるさとの山河を懐かしむのです。だけど、実はふるさとから追われた悲しみ、苦しみ。あるいはひょっとすると憎しみもある。そういうふうに郷土に対して、非常に屈折した感情を持っております。
 先程、伴野先生が秋田の方言のことを言われました。東北人にとって、自分たちの方言の話を聞くほどグッとくることはないのであります。私もできるだけ方言をつかわないようにしておりますけれども、お気付きかと思いますが、私の言葉は東京の人がしゃべる標準語と違い、ほとんどアクセントがありません。いまだに、「箸と橋、柿(かき)と牡蠣(かき)」どちらも区別ができません。
 私はそういう点では、まだ東北的な体質をずっと持っており、それがいつもコンプレックスになっております。そういうのを打ち破るためにも、一つは自分の所を学ぼうということなのです。自分の地域について学べば、それはただちに、郷土を愛することになるとは限らないのです。自分の土地のいい所も、悪い所も、二つながら学ぼうというのが、実は山形学の根底にございます。そして山形学が、学という言葉をつけるならば、これは愛媛学も同じだと思いますけれども、これはやはり学問、科学でありますから、ある意味で客観性を持たせなければなりません。
 とかく、郷土についての学問というのは、お国自慢になりがちなんです。いい所のみを扱いたがるんですが、それではやはり駄目です。それから逆に、いかに東北は西日本に、あるいは中央に痛めつけられてきたか、その怨(おん)念の歴史を明らかにするというのが、郷土学だというような、一方にはそういう意見もあります。
 私は、そういう双方の立場はあってもいいと思います。郷土を愛し、国も愛せという人と、いや国に対して、アンチ中央、断固として地方の立場を貫けという人がいます。これはどちらも否定はいたしません。しかしこれから作る地域学というのは、そのどちらにも偏しないものでありたいというのが、山形学の立場でございます。
 先程、加藤先生からつきつけられた問題というのは、実は私どもも非常に苦労いたしました。たまたま、伴野先生が高校野球のお話をされましたので、高校野球の例で申しますと、山形ぐらい情けない県はないのです。甲子園で勝率最下位でございます。これは当分ゆるぎそうもありません。清原・桑田のいたPLに最多得点の記録を許しましたのも山形県の代表です。それから沖縄も、復帰前後は非常に弱かったのですが、その沖縄に最初の1勝を差し上げたのも山形でございます。今年の甲子園大会の前に山形代表校の監督は、何とか1点を取りたいというのが目標だと言いました。これは無得点記録を、十何イニングか続けていたからでございます。
 なぜそんなことを力説するかというと、今山形で国体が終わったところで、この次の山形学のテーマは、山形県のスポーツというのを取り上げようということだからです。確かに加藤先生の言われるような意味での地方文化というのは、地域文化と言いますか、あるいは生活文化ですが、これは確かに県単位というよりは旧藩時代の地域意識を継いでおります。しかし明治になって、県が確定してから、もう100年以上の年月が流れておりまして、県域にはもう地域としての連帯感がありまして、自分の県の代表が甲子園で勝てないと言って悔しがるのは、これはもう山形県人として悔しがっているのでございます。国体開催というのも、山形県としてやって、まあ結構盛り上がった。助っ人をたくさんお願いしまして、それでやっと天皇杯、皇后杯を、めでたく獲得しました。今度は四国の方の番でございますね。そうすると、天皇杯と皇后杯と、うまく二つの県で分けるという離れ業をやられるのかと思って僕は心配しているのですけれども。ちょっと脱線いたしましたが、とにかくそういう県意識が、もうできておりますので、やはり県という地域も、ないがしろにはできない。やはり我々の研究の対象であろうと思います。
 ただし、県の下に各地方というふうなものの地域性があって、つまりそういう多様性、ここは加藤先生の御意見とも合うのですけれども、その多様性というものを基礎にしていくべきです。しかし、ここからは加藤先生と違うのですけれども、県はもう単なる行政体ではない。すでに100年も一つの県として生きてきて作り上げた社会そのものなので、これも、やはり我々の研究対象でありましょう。この県単位というのは、当分維持されるでありましょうから、これからの問題を考えるためにも、この単位で、私は構わないと思っております。
 山形学について申しますと、まず取り上げる地域としては、例えば「山形の道」のような全県を対象とするテーマの他に、「最上の謎に迫る」という、県内の一地域、山形の中の一部の地域のこともやっているのです。
 次に、取り上げる内容について申しますと、内容を検討する企画委員4人のうち3人が地理屋なんです。1人だけが歴史なんです。歴史の方には申し訳ありませんけれども、歴史の先生が中心になると、必ず郷土史中心になります。それを避けて、自然・人文のあらゆる分野のテーマを、横断的に一つのまとまったテーマの中で扱うことを考えました。例えばここに「山形の道」というテーマの講義テクストがありますけれども、例えば、道と地形の関係なんていうのは、これは地学的な問題で、あるいはけもの道という問題になると、これは動物の問題になります。あるいは、奥の細道という話になれば、これは文学の話になります。それからこれから道をどのようにしていけばいいかと言うと、地域づくりの問題になります。そういう横断的なと言いますか、各学問の枠を超えたものでやっていくというのが、一つの柱でございます。
 それからもう一つは、こうやってパネリストの私どもが一方的にしゃべるというのは、お聞きになる皆さんにとって苦痛でもあり、「いや違う」とか、「私はこう思う」とかおっしゃりたい方が、フロアに大勢いらっしゃると思うのです。この企画では、そういう声を取り上げる形になっておりませんけれども、山形学というものを考えた時には、皆で外へ出るとか、皆で同じ物を読んで意見を発表するとか。そういうふうなものも入れようということになりました。つまり、こうやってお話を聞かれるというだけの受け身ではなくて、そちらからもっと発言していただくことが大切です。
 ついこの前も、「味な山形」という食べ物を中心にする企画を立てたんですけれども、その時に、ワークショップという形で、いろんな方に私の郷土自慢といったような、自分の家の食べ物とか、私の郷土の食べ物とか、山形出身の方にはそういう話をしていただき、山形以外の地方の出身の方は、例えば松山出身の方には、松山の食べ物と山形の食べ物を比較して見るというような御発言をいただきました。そうすると私どもにとっても勉強になるんです。私など知らないことがポンポン飛び出すわけです。「九州の福岡に『おきゅうと』というコンニャクみたいなトコロテンみたいな、つるつるっとした食べ物があります。朝、おきゅうと売りというのが来て、それを買って食べるんです。福岡ではこれは福岡だけの食べ物だとおっしゃるんです。ところが山形には、同じものが『えご』という名前でありまして。どうもこれは日本海の交通で運ばれたらしいのです。」とそこまで私が話をしましたら、受講者の中の乾物屋をやっている人が、いやそれは、青森で取れるんだと言われるのです。青森の人は、その「えご草」と称する海草を、自分たちは食べないので、全部秋田・山形あたりと、それから九州福岡というような所へ持って来るのだそうです。
 北海道の海産物は、日本海をずっと回りまして、瀬戸内海を通って、あるいは途中で琵琶湖を通ってとか、経路はいろいろですけれども、大阪の方へ運ばれていました。青森の「えご」もまた、そういう江戸時代の西廻(にしまわ)り海運と実はかかわりがあるらしいことが分かったのです。
 そういうのを皆で学びながら創(つく)っていくのが、山形学でありたいと思っています。
 山形学はまだ発展途上でございますが、とにかく私どもは、このように試行錯誤を重ねつつも山形学は成立すると確信しております。したがって、愛媛学も当然成立するはずだと思うのでございますが、いかがなものでございましょうか。

讃岐
 ありがとうございました。だいぶ見通しが良くなってきました。今おっしゃったように、科学として横断的に作るという面と、もう一つに皆がかかわっていくということですね。先程の加藤先生のお話ではありませんが、プロとアマチュアが一緒になって作っていくところに、郷土学のおもしろさみたいなのが、私もあるのではないかなと思っております。
 プロの先生ですが、常磐井先生が最初に郷土学みたいなところに入り込んでいかれた時の研究の手法というのでしょうか、調査の方法みたいな。この辺が一番おもしろくて、こういうやり方がいいとか。先程もおっしゃっていましたタブーというのですか、高齢の方の知恵がだんだん忘れられていってしまうけれども、今残さないといけないというお話があったのですが、その続きあたりのところを押さえてもらったらと思います。