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愛媛学のすすめ

*時代を記録する視点

池内
 私ども、テレビをやっているわけですが、日本でテレビ放送が始まって、もうそろそろ40年になるのですが、大体前半は使い捨て。まさに文字通り「送りっ放し」。使い捨て文化と言いますか。これは今のようにビデオみたいなものが、あまり発達していなかったということもありまして、もうほとんど生の番組中心に使い捨てだったのですが、後半になって、どんどん撮ったものが残るような時代になってきまして。そういうことから、現在テレビでも撮ったものの整理、保存ということの重要さというものに、ようやく気が付いて、各社でやり始めているわけです。
 先程から、もうそろそろ記録をし、採集をしておかないと、分からなくなってしまうものがたくさんあるのではないかというお話が出ていますけれども、まさにその通りで、私はそれを映像で記録するということが、非常に大事なのではないか。これは何もテレビ局に限らず、最近はアマチュアの方が、ビデオを非常に盛んにおやりになっていまして、本当にプロよりも腕のいいアマチュアの方もいらっしゃいますし、また我々の放送局なみの、立派な機材を持っている方もいらっしゃいますので、そういう方も巻き込んだ、映像による愛媛の記録を考えて、そういうものを系統的に記録として残していって、それをいろいろ今後の研究のためにも保存していこうというようなことが必要ではないか。こんな気がしているのですが。
 私どもでやりました一つの例としまして、ちょっと申し上げますと、昭和61年に、「神輿(みこし)は峠を越えて来た」という番組を、作りました。55分ぐらいの番組だったと思いますが。これは、三瓶神社という、南予にあります神社のお祭りなんです。三瓶神社というのは、三瓶という名からいって三瓶町にあるだろうと思うと、これが何と一山越えた宇和町にあるんです。私は直接この番組を作らなかったので、ディテールは間違っているかも知れませんけれども、「何でもそこの神様は、もともとは三瓶にいたのですが、どうも海を怖がる。海が見えるところは嫌だというので、どんどん山を越えて、とうとう宇和町まで行ってしまって、今では宇和町に三瓶神社がある。ところがやはり本来は三瓶にある神様なので、50年に一度お神輿に乗って、三瓶へ還幸(かんこう)されるという珍しいお祭りがある。」これがちょうど昭和61年にあたっておりまして、これも非常に民俗学的に珍しい愛媛のお祭りの一つではないかと思ったのですが、とりあえずこれを撮っておかないと、果たして50年後にまたあるかどうか。昭和61年というのは1986年ですから、50年後というのは2036年。当然そのお祭りに参画した方の中で、そのころまだ健在な方というのは、あまりいないかも知れないし、やはり記録しておく必要があるだろうということで撮りまして。私どものライブラリーにもこれはありますが、三瓶町の役場が、これをカセットテープに入れ、役場の前にタイムカプセルを作って納めておりまして、50年後に出してみようというわけです。もっとも、ホームビデオの映像が50年たってもまだ見えるかどうか、保証の限りではありませんが。
 そういった時代を見通した記録というふうなものも、愛媛学の中において必要なのではないかというふうなことを感じております。