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愛媛学のすすめ

私が考える地域研究の新視点~素敵な愛媛を放っておく手はない~

 愛媛学という耳新しいテーマを聞いたとき、一瞬戸惑いを感じたが、今回のシンポジウムに参加して、「政治・経済・教育・交通・文化・歴史等、多方面から愛媛を研究し、知ろうという学問」と知り興味を覚えた。特にその研究者が、学者、教育者等特定の人に限られることなく、在野一般の人々であるという底辺の広さに魅力を感じた。何事も研究しようとする時には、その対象に、愛着と興味を持たねばならないが、はからずも、今回のシンポジウムに他県から来られたパネラーが、異口同音に、愛媛の自然は穏やかで優しいといわれたが、その余りの優しさ故に、過保護の母親に育てられた子供が、甘えのみで、母の愛を自覚することがないように、県民は郷土への愛情を忘れがちなのではないだろうか。自然環境の厳しい地方の住民は、生きてゆくために自然との協業が絶対に必要で、それ故にこそ郷土や自然をよく理解せねばならず、また愛着も強いのではないかと思う。私自身、3年余り前に松山に移り住み、自然に感動するとともに、住む人々のそれに対する甘えに驚いたものである。当初、近辺のさして重要視されることなく放置されている「古代人の穴居跡、隠れキリシタンの墓、300年の前からの古文書を保存する古い寺」等を感激して見て回ったものである。関東の友人に「家から東西南北どちらを向いて歩きだしても、ハイキングコースで観光名所、気候といい、海山の幸といい、愛媛は日本一住みやすい楽しいところ」と書き送ったものであったが、いつしか自然の恩恵や、探究材料の豊かさにとっぷり漬かり緊迫感が薄れてきてしまっているが、今回のシンポジウムで、最初の感動を呼びさまされた思いである。
 さて、今回のシンポジウムにおいても、文化面に焦点が絞られていたように、私どもが郷土を研究しようとする時、好みにもよるが、アプローチしやすいのは、郷土文化、郷土史であろう。演者の説明にもあったが、公民館活動で行われる様々な講習や、おけいこ事も文化活動には違いないが、お仕着せの傾向が強く、ここには、生命を持った創造的文化は生まれにくいような気がする。美しい文化は、楽しんだり苦しんだりしながら行った生きるための純粋な労働の叡(えい)知から生まれたものであると信じている。先人のそうした道をたどることは、郷土史の研究と共に楽しいものであろう。具体的には、研究の第一歩はまず、知ることであるが、足で聞き歩くこと、文献を調べること等、いろいろの方法がある中で、一人でコツコツと探索するよりは、地域別に情熱を持つリーダーを募り、仲間を集めて、グループでテーマに取り組む等はどうであろうか。このような形で地域の人々が研究に参加することこそに、愛媛学の意義があると考える。
 こうして郷土を見直すことは、我々が忘れがちな愛媛への愛情をあらためて呼び覚ますよすがともなろう。