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愛媛学のすすめ

3 地元学とは

   生まれた町、育った町
      これからもくらす町。
   この町にどんな人が住んでいたのか-。
   この町でどんなことがあったのか-。
   遠くのことより、
   そんな身近なことが大切に思えてきた。
   じぶんの町が
      おもしろい
   みんなの記憶をたずねて、
      あつめて、つないでいく。
   そうすると、じぶんの町の
      ものがたりができあがる。
   世界でたったひとつの物語。
   それが「地元学」。
   住んでいることがもっと楽しくなる。
   町との新しいつきあいがはじまる。
 
 これは、受講生募集や小冊子の表紙に使っているキャッチコピーです。このコピーは地元学の考え方をうまく表現していると自画自賛していまして、厚かましいんですが、このコピーにそって地元学、地元学の考え方をご説明していきたいと思います。
 「地元」に「学」をつけて「地元学」と呼んでいますが、「学」がついているからといって地元学は民俗学・歴史学のような学問ではありません「たいしたもの」や「むずかしいもの」でもなくて、地元に近づいて行くための道具、それが地元学です。
 地元=ふるさと、「ふるさと」とは、自分が経験してきた過去の出来事、人や場所とのつながり、地域の共同性の中に意識されるもので、決してイメージや抽象ではなく、とても具体的なものではないでしょうか。遠くに育って思うものではなくて、生まれ育った町、今も暮らしていて、これからも暮らす町、それが「ふるさと」だと地元学では定義します。
 私達は、これまで都市化・近代化の方向に多大のエネルギーを費やし、新しいものを求め、古いものをドンドン捨ててきていました。日々古い建物や田んぼが消えて、新しい町並みが生まれ、路地や井戸が消えていく。生活は近代的で便利になったけれど、地域の共同性が次第に希薄に感じられてきたような気がします。
 いままでは「遠くのもの」(例えば東京とか外国)や「新しいもの」に価値を求めていて、あっちにはおもしろい事や物が沢山あるけどここ(地元)は何もなくてつまらない所なんだ、と考えていたけれど、本当にそうなんだろうか。自分たちが今いる所を東京とか大阪とかそういう所を基準にしてみるという見方を、この際やめてみよう。そうすれば、自分の所がよく見えてくるんじゃないか。自分の町にも何かあるかもしれない、おもしろいことも沢山あるかも知れない。時計の針をちょっと止めて「身近なもの」や「古いもの」について考えて見ると、重要なヒントが隠されているのではないか。普段、車でなにげなく通り過ぎていた町も車を降りて歩いて見ればいろんなことが見えてくる。見つめ直してみると、じぶんの町がおもしろい。地元学ではそう考えます。
 人や家にはそれぞれの歴史と物語があるように、町にもそれぞれの歴史と物語がある。この町でどんなことがあったのか、どんな思いで暮らしていたのか。この町で生まれ育った人、これからも暮らす人、いままで関わってきた人、そんな人達から、その記憶や思いを一つ一つたずね、集めてつないでいくと「町の物語」ができあがります。
 どんな町にも、「町の物語」はあります。そこで暮らす人達に直に会って難しい話を聞くのではなく、そこで暮らす人なら誰でも知っているような身近なこと、ささいなことを聞いて行く。なぜ? いつ? 何処で? だれが? など簡単な質問を聞き手の興味で聞いてまとめていく。やさしい思い、温かい思い、いろいろな思いに触れて、そして新しい発見がある。誰にでもできる簡単な作業、止められなくなる位、楽しくなる作業。地元学は道具です。道具は、簡単に楽しく使えてこそ役に立ちます。
 完成された「町の物語」をつくることが地元学の目的ではありません。今出来る範囲の「町の物語」をつくる。そして、それを人に伝えることによって、町や人との関わりを見直すきっかけになり、町と人、人と人との新しい出会いが、つながりが持てるようになることを目的としています。
 キャッチコピーにそって、なるべく分かりやすく説明したつもりですが、具体的な説明ではなかったので、分かりづらい所も沢山あると思いますが、次章の地元学講座の実施例で具体的な事例をご紹介しますので、このまま進みたいと思います。