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宇和海と生活文化(平成4年度)

(3)美(うま)しき三瓶

     〝御代の恵を仰ぎつつ 西宇和郡の南なる
         三瓶の村に住むものは げに幸福の人々ぞ〟 三瓶トンネルの歌1

 ア 車社会と路面の整備

 車社会になってくると、県道は狭あいを感じ、往来の危険も生じてきて路面整備が更に重要になってきた。朝立バイパスの新設のため、昭和48年より用地交渉が始まり、昭和50年度から一部工事に着工し、昭和53年3月までに街路総延長1,550m、幅員12mの全線を完了して53年4月より使用開始された。
 八幡浜市布喜川と横平の間には横平峠があり、これを越える道路は幅員が狭く、急勾配に加えて急カーブが続く悪い道路でドライバーにとって難所だった。このため三瓶町を中心に早急にバイパスの建設が熱望され、40年代に促進期成同盟会が発足、県は51年度より着工し、53年10月に完了した。総事業費約11億3,000万円。このトンネルの完成により横平経由の6.1kmがわずか1.75kmとなり、所要時間も15分から3分に短縮され、そのうえに布喜川橋~三瓶バイパスまでの県道は二車線になりこれを経由すると三瓶~八幡浜間は11km、同市町の中心部の間は40分から半分の20分前後で結ばれ、三瓶~八幡浜間の往来は快適な車の走行が行われるようになった。
 三瓶トンネルは先述したように当時としては大事業であり、このトンネル完遂は宇和と三瓶の動脈として重要な役割を果たしてきた。しかし、交通量の増大や車の大型化に対応できず、また、標高が308mにあるため、冬季の積雪など不便をかこっていたので、三瓶トンネルの付け替えが強く望まれるようになった。新しく建設されたトンネルは、現在より標高が50m低地になり、トンネルの延長は715m、幅員8.5mの二車線となって、距離も約2.6km短縮され、時間にしても約10分間短縮される。総事業費は12億円。昭和63年11月に完了。
 このように路面整備がなされマイカー時代になってくると、今後商店街はどうあるべきなのか、**さんは、「車社会に入って、お客さんを逃がさない対応策は、まあはっきりいってございません。それぞれの店で、真の商人の姿といいますか、お客さんのご満足に、どれだけこの町がこたえられるか、にかかっていると思います。有り難いことに、比較的後継者に恵まれていることが、ちょっとよその町と違うのではなかろうか。30代の後継者の方が、この銀天街にも、ちょっと数えて10人ばかりおられ、これがこの銀天街の中で期待できる一番の楽しみですね。それは今まで何とか食えたからでしょうね。それと先祖代々の土地と家があり、義理人情もからんで、また、町の先輩の方々がつくっていただいた過去の遺産が残っていたということでしょうか。
 何はともあれ、マルチ商法のような商法は田舎では絶対通用しない。昔から顔なじみのお客さんとアキナイしているのですから、誠実に、適正な利潤で、お客様に満足して頂けるような商品を一生懸命さがして仕入れてくる、そして提供することだと考えています。
 この町に生まれ、この町に育って、この町にお世話になって、この町で死んでいくのですから、与えられた職業をアキズに一生懸命やることだ。後は次の後継者が続いてやってくれることだと考えています。」と語る。

 イ 「村おこし」から「夢おこし」へ

 三瓶のくらしは「空」と「海」と「山」を背景に、太陽の輝きを浴びて、温かいまなざしで見つめる人々。人々は、だれよりも三瓶を愛し、だれよりも三瓶の明日を考え、地域の資源を掘り起こし、生産していく「村おこし」から、地域の価値観を創造していく「夢おこし」へと新しい動きを広げようとしている。
 美しき地域とは、人々が行ったり住んでみたくなる町、魅力的な町、おしゃれな町であり、地元の力で町づくりを成し遂げるためには、人々が地域で生きていく価値を発見しないと町が生き延びるのは難しい。改めて地元の生活の「過去」を学び、「現在」を知ってその善さを認め、誇りと憧れの町づくりのために味付けすることが必要である。そのためには、地域の人たち一人一人が自分の生活時間を大切にし、地域の足元から知恵をつくりださなくてはならないだろう。