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宇和海と生活文化(平成4年度)

第3節 八幡浜-南予の玄関としての伝統

 第2節の1の項で述べたように、八幡浜は幕末・明治初期から大正期にかけて、先見性を持った先人たちの努力により、宇和海における物資の一大集散地として繁栄を誇った。大正末期以降の交通体系や産業構造の変化から、県内における商業面での八幡浜の比重は低下してきたものの、現在の市の「みかんと魚の街」のキャッチフレーズに代表される、戦後の新しい発展が生まれてきた。
 この節では、交通の発達との関連の中で、南予の流通拠点としての八幡浜の姿の変遷を考えてみたい。1において八幡浜の商家・旧家の人々の聞き取りから、戦前からの商業都市としての特色ある生活文化を明らかにするとともに、峠と海に囲まれた制約の中で、南予の交通の要として栄えてきた八幡浜の人々の、生活に密接に関係した交通・交流の変遷についてまとめてみた。また2では、流通面・水産加工の面に焦点を当てながら、交通・流通網の発達に伴い、西日本有数の魚市場・水産業を育ててきた、八幡浜の水産業関係の人々の活動と努力の跡をたどってみた。3では、製造業において南予の中心産業であった繊維産業の伝統と変遷を、会社経営者の方の視点から、交通上の不利を乗り越えていかに地域産業として生き残ってきたかをとらえたい。