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わがふるさとと愛媛学   ~平成5年度 愛媛学セミナー集録~

2 今治らしさの背景

 愛媛県は、海岸線の長さが全国で5番目と非常に長く、背後には、西日本で一番高い石鎚山があって、海と山脈にはさまれた細長い県である。当然、山の文化と海の文化とが併存をしており、二つの文化を比較してみると、非常によく分かる。今治周辺には、来島海峡という難所があり、海の文化が一番色濃く残っている。

(1)動く

 山(森)に住む人は行動半径が狭い。水、エネルギーの薪(たきぎ)、食糧、衣料品・繊維の原料、建物の材料等が、狭い範囲で自給自足できるので、動く必要がなく一定の所に定着する。自分の縄張りを決め、侵されると命を懸ける(一所懸命)。抵抗してもどうにもならないときは潔く散る(玉砕)。一所懸命とか玉砕というのは、元々、森から出てきた農民の思想である。自分中心である。
 海の人の場合、漁師はじっとしていても魚が来るわけではないから、遠方まで追っ掛けて行く。自分が相手に合わせて動いていくので、行動範囲も非常に広い。有名な水軍の村上武吉も、「犬死にはするな。逃げた方がいいときは、ちゃんと逃げろ。」と書いており、現実的で、1か所に定着したり命を懸けたりしない。相手中心である。

(2)決断する

 「迷ったおかげで、桃源郷に入り込んだ。」という話もあるくらいで、森の中は迷っても困らない。いろんなものが手近にあり、万一、野宿したって大丈夫。
 ところが、海で迷ってしまうと大変。「いやな雲が出てきた、どうしよう。嵐が来るまでここで時間を稼ごうか。」「魚がいない、どうしよう。魚が寄ってくるまでじっと待とうか。」では、すぐ死んでしまう。
 森では、木が枯れてもその株の脇に芽が出て、また大きな木になっていく。「命は再生する、時間は循環する、歴史は繰り返す。」という思想が生まれ、新しいことよりも、むしろ前例にはずれないことをしていたら、まず大丈夫だということになる。
 海ではそうはいかない。「死んだらおしまい、時間は直線的、歴史は1回性のもの。」となる。海の人は、その時々の状況に応じて、決断をしながら生活をしている。
 今、日本は、山の民族が優勢で、山の思想が圧倒的だが、海の文化の優勢な地域はそうじゃなかった。決断するという姿勢があった。

(3)視点が高い

 森の中は見通しがきかないので、遠方は見えない。従って、目の前を非常に精密に観察する。ところが海の場合、決断するためには情報がいる。水平線の向こうの見えないことでも見通して、「あの雲の下に何があるか。あの雲があの早さで近付くと、どの港に入るのは無理だから、どこへ逃げなきゃいけない。嵐が過ぎた後ではこの風が吹くから、あの港では出る時に不便だ。」と、いろんなことを計算し、立体的に情報をつかんでいく。こうしないと、海では次に何が起こるかが分からない。それで、視点が高い、つまり時間的にも空間的にも高い所からものを判断することになる。

(4)来島海峡の持つ意味~海の思想・海の文化~

 今治は、海の思想、海の文化を持ってここまでやってきた。非常に積極的で、新しいものへの取り組みが実に見事である。進歩という思想は、「時間が循環する、歴史は繰り返す。」という森の思想からは出てこない。日本では明治以降に使われた「進歩」という言葉が、西洋ではアウグスチヌスの5世紀ころに出てきている。西洋のキリスト思想は、1か所に定住できず季節ごとに移動しなければいけない砂漠周辺の草原で起こった考え方である。日本の照葉樹林帯とは違うこの草原の思想というのは、海の思想と非常によく似ている。キリスト教会が今治にまずできたのも、海の思想を持った連中が、キリスト教の草原の思想に非常に早く共鳴することができたからと考えられる。