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わがふるさとと愛媛学Ⅲ ~平成7年度 愛媛学セミナー集録~

◇漂着物あれこれ

 以下、スライドで、御説明させていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。(紙数の都合により、一部を掲載)

写真1
 ここは博多湾に伸びる海の中道とよばれる砂州です。左手のほうに、志賀島が見えます。金印の島でございます。冬になりますと、このようにけっこう人が歩いております。これは健康のためだけではありません。11月から12月にかけて、ソデイカという大きなイカが打ち上がるわけです。大きいのになりますと、体が60cm、身の厚さが4cmほどもあります。1匹売れば1万円ぐらいになるわけで、津屋崎あたりでは、「あの人はイカば拾うてから、バイクを買いなさった。」とか、そういう話も時には聞かれます。この数年、大量に上がって、ずいぶん値段が下がったそうですが、それでも小さいのでも1匹3,000円ぐらいするのです。

写真2
 これは私が住んでいる福間の海岸なんですけれども、こういう砂浜が続いております。最近は、こういうようにして護岸や、さらに波消しブロックと言いますか、そんなものを設置してだんだん自然海岸が少なくなっております。

写真3
 これは、私の家の近くの海岸ですが、恋の浦というところです。名前は、恋の浦ですが、ずいぶん荒れ果ててしまいまして、名前のようにはいきません。4月から5月にかけては、ワカメがたくさん打ち上がるわけで、こんなにしてワカメを拾っております。これは全部ワカメです。季節的には、ちょっと固いのが多いんですけれども、小さいのであれば、まだ食べられます。沖に朝鮮通信使の寄港地相ノ島が見えます。

写真4
 最近は、ずいぶん発泡スチロールが使われるようになりました。発泡スチロールのウキであるとか、そういうものが多くなり、これが、風に吹かれて松の防風林(防砂林)に、プラスチックやビニールなどとへばり付くようなこともあります。護岸にくだけて、海が荒れると、雪が降っているような感じになることもあります。発泡スチロール、廃油ボール、プラスチック、ビニール、それから今年のように暑ければ、ビールの缶がずいぶん漂着します。これらは川に捨てられたものも多いと思います。

写真5
 玄界灘は御存じのように、大陸に近いところでもあります。それでこういう密航監視所というのがあって、以前は地元の青年団が泊まっていたのです。このころは、人気(ひとけ)のない海岸に船を着けて上陸するというのではなくて、去年も今年も、もう港に堂々と船を着けてやって来ております。こんなものも、あまり役に立たない、そういう時代になったのだなということを感じました。

写真6
 これは、鐘ノ岬。ここを境に、東が響灘(ひびきなだ)です。海の難所でもありまして「千早振る 鐘ノ岬はすぎぬとも われは忘れじ 志賀の皇神」という万葉集の歌が残っておりますけれども。非常に難所でもあり、またそのために、漂着物もずいぶんこの浜には打ち上がります。宗像大社の寛喜3年(1231年)の文書、これは鎌倉時代の文書なんですが、これによりますと、この鐘ノ岬を中心にして、東は遠賀郡芦屋から、西は粕屋(かすや)郡新宮にいたる海岸線の漂着物が宗像大社の本社や末社の修理にあてられています。

写真7
 これは西方丸です。お盆が終わると、こんなのがたくさん流れ着きます。小さい時に拾って家に持って帰って、縁起が悪いと怒られたことがありました。今は少なくなりましたが、なかには、わらで編んだりして、非常に珍しいものもあります。しかし、やはり今のうちに、こういうものも集めておかなければ、やがては発泡スチロールあたりで作られた物になっていくのではないかと思います。

写真8
 これはムラサキダコと言って、海流に乗って来るタコなんですが、だいたい9月から10月ころにたくさん打ち上がります。私どものところから、長崎県あたりにかけては、「タコ変じてヘビになる、ヘビ変じてタコになる。」と言われますが、体から皮がはがれたり、体色や感じがヘビに似ているためで、これがその張本人だそうです。地元ではクチナワダコとかヘビダコとも言っております。非常にグロテスクで、食べてもあまりおいしくはありません。

写真9
 これは鯨です。こういうのも時々浜に打ち上がっています。俗に「鯨1頭、七浦潤(うるお)う。」と言いますが、ちょっとこれでは潤いようもありません。ミンククジラだという話でした。最初は皆珍しがって見に来ておりましたが、そのうち、ものすごい臭いがするようになって、最後はなんとかしてくれということで、町が大きな穴を掘って埋めたそうです。似たような話は、平安時代末の『今昔物語集』にも出ています。

写真10
 これは先ほどお話しましたソデイカです。色が赤いので、アカイカとかベニイカとも言います。また、コウライカ、タルイカ、あるいは、だいたい2匹がいっしょにいるということで、メオトイカ。(実際は2匹いるとは限らないようです。)

写真11
 これはアオイガイです。カイダコとも言います。タコのメスが、こういうカラを作り、その中に卵を生むんです。太平洋側には比較的少ないのですが、愛媛の海岸はどうでしょうか。

写真12
 これは、オウムガイ。形がオウムのくちばしに似ているので、この名前があります。「生きている化石」といわれ、アンモナイトはその仲間です。フィリピンのルソン西岸が日本に一番近い生息地で、世界には4種ほど、主に南半球にいます。成長とともに部屋を作り、死ぬと、部屋に空気が入っているので浮き上がり、殻が漂着します。

写真13
 昔は、漂着した船で宗像大社のお社を作ったりしておりますが、こんな船が漂着すると、大変なことです。これは、マレーシアかどこかの船だったのですが、結局、ばく大な経費をかけて解体をしましたが、座礁した時に油が流れ出て、付近の漁業に大きな被害を与えました。

写真14
 これは海漂器と言って、中国向けに台湾が流したものです。この中に、台湾は自由があるとか、人々の生活が豊かであるとかいう宣伝ビラ(プロパガンダ)をたくさん入れているんです。そんなものが流れ着きます。政治も流れ着くのですね。

玉井
 私などは今まで経験のないような、貴重なお話をお聞かせくださいまして、石井先生、ありがとうございました。
 実は先日、私は、今回のこともございまして、玄界灘をほんの少しですけれども、歩いてみました。今日もスライドを見せていただきながら考えていたのですが、愛媛県内には、この玄界灘と同じような場所というのは、思い付かないんです。海岸線の風景からしますと、今治の志島が原をもっと大きく延長したような、そういうふうな景観を示しているところと言ったほうがいいのかもしれません。もちろん、玄界灘のほうが波は荒いわけですけれども。
 漂着物に関しましては、愛媛では、日振島の隣に沖の島という小さな無人島がありまして、そこには、黒潮にのってきた軽石やヤシの実などの漂着物が30年前に見られたのを思い出しました。
 全国の海岸線というのは、1万9,000kmありますが、だんだんとこういう自然の海岸線というのは少なくなりまして、現在、島しょ部を除きますと、自然の海岸というのは45%程度で、半分以上は人工の海岸になっているというような状況です。そういう中で、やはり自然の海岸は、今後も残していかなければならないかと思います。
 もう一つ、地域でくらす人々の価値観ですが、以前と現代とでは大分異なっている部分もあるのではないかと思います。
 もともと人々は、それぞれの土地で生活する場合、たとえば、大根1本と鯛1匹というのは、同じ価値であったわけです。私たちは、どう考えても鯛1匹のほうが価値が高いだろうと思えますが、それは現代人の考えることであって、それぞれの土地で生活する人々にとっては、鯛1匹と大根1本が、等価交換されていたのです。これが地域における本来の生活姿勢だろうと思うんです。
 こういう海に生きる人々の生活姿勢というものが、自然の海岸だと見られると思うんです。それに関しましては、また後半のワークショップの部分で、御発表の先生方から、より具体的なお話をお聞かせ願えるのではないかと期待しています。
 対談講演は、一応これで締めさせていただきます。どうもありがとうございました。