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わがふるさとと愛媛学Ⅳ ~平成8年度 愛媛学セミナー集録~

◇生け花と椿

 さて、私は、7、8年前から生け花を教えています。私のしているのは、嵯峨御流(さがごりゅう)ですが、江戸時代、この辺で生けられていたのは、青山御流(せいざんごりゅう)というお花だったようです。妙口(みょうぐち)の菅哲彦さんのお宅に、1852年(嘉永5年)の生け花の巻き物が残っているそうです。その当時、裕福な町民の間でお花がさかんだったようです、それも今ではお花をするのは女の方が多いのですが、当時は男の方が多かったようです。現在生け花の世界も、いろいろと変わってきております。生け花というのは、元々、なぜ生け花かと言いますと、花を生かすということから生け花といいます。私の気持ちとしては、花は野にあるのが美しいと思うのですが、それをいかに上手に生かして、自分なりのお花を生けるかということだと思っています。
 嵯峨御流でも、伝承花を重んじる一方で、新しい生け方も生まれてきています。今まではしてはいけないとされていた枝使いも、これは禁忌(きんき)といいますが、その枝や花をありのままにとらえてもいいのではないか、というように変わってきております。
 例えば、大きくて長い葉っぱがありますと、今までは横に使ったり、斜めにねじって使ったりしておりましたが、このごろでは、正面を向けたり、2本並べたり、交差させたり、並行に出してみたり、昔はしてはいけないと言われたことが全部よくなってきております。
 生け花の場合は、まず型によってお稽古(けいこ)を積み重ねていきます。型は美しさへの重要な手掛かりではありますが、美しさそのものではありませんから、いずれそこから抜け出さなくてはいけないと思っています。
 ところで、小松町にたくさん咲いている椿は、昔から生け花には欠かすことのできないものです。椿を生ける時には、「椿に添えなし、椿は添えになる。」と言います。つまり高く生ける時には、椿1種類で生けます。お花をしていらっしゃる方は分かると思うのですが、お生花(せいか)の「一種生け」などがそうです。その他の花材を合わせる時には、たとえば松や梅と生ける時には、足元を力強く引き締める役割をします。
 その他、何色もの花を使う時には、高い方に白っぽい花、それから下のほうに濃い色を持ってきます。それから「一花三葉(いっかさんよう)の心得」と言いまして、一つの花には三枚の葉っぱをつけるのが、一番いいのですよということです。そして雪の季節には、花がありましたら、その上に覆いかぶさるような葉っぱを持ってきますと、雪や霜から花を守るという感じで、優しい気持ちになります。
 しかし、なんと言っても、椿は一輪がいいのです。
 室町時代に、お茶室に椿一輪生けられたという記録が残っております。それから今日まで、お茶室には椿が一番たくさん生けられています。そしてこの町で椿一輪の素晴らしさを毎年見せてくださっているのが、老人クラブの方々です。「我が家自慢の一輪展」ということで、毎年、3月の第1日曜日に、この公民館で行われています。手作りの器に、いろいろな椿が一輪ずつ、それぞれ違う風情をみせて生けられています。その椿一輪の個性を大事に大事に考えていることが、よく分かります。
 こういうものを見るたびに、私は思うのですが、どうして人間は、こういかないのかなあと。子供たちにでも皆、同じ服を着せたがって、同じものを食べさせたがって、同じ態度や考えをさせたがります。
 近ごろ、どこの会に行っても、いじめの話になるのですが、何かいつもピントが狂っているような気がして仕方がありません。学校が悪いとか、家庭が悪いとか、いや地域がもっとしっかりせんと、というふうになるのですけれども、何というか、それはもう分かり切ったことでして、子供たちは、大人の背中を見て、大人のまねをしているにすぎないと思っています。
 私も含めて、一人一人が、一つでもおかしいなと思うことは、おかしいと言えるようになって、小さなことからでも自分を変えていって、もっと正しく生きるということを考えないといけないと思っています。