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わがふるさとと愛媛学Ⅳ ~平成8年度 愛媛学セミナー集録~

◇日本のカルチュラル・マキシマム

上田
 最後に私が少し関係した日本のケ-スを紹介して、私の話を終わりたいと思います。
 まず、旭川市の買物公園です。なぜこれが有名になったかといいますと、国道40号を建設省の反対を押し切って、勝手に自動車を実力で食い止めたのが旭川であり、その実験に成功して、そのあと、ここを永久歩行者天国化したからです。当時、これに対して誰もあまり注目しませんでした。ところがその翌年の暮れにニューヨークでリンゼー市長が、五番街をサンデーストリートとして、自動車をストップしたのです。つまり歩行者天国です。全世界がニューヨークを注視しました。自動車を止めて、ストリートを、人間だけの歩行者空間をつくったということで。ところがどっこい、それより半年も前に旭川がやってますということになったのです。それで旭川がニューヨークの報道のために有名になったのです。慌てて次の年、美濃部東京都知事が銀座を歩行者天国にしたわけです。何よりも、旭川が最初だったのです。それでこれがとても有名になったわけです。
 次に、北九州市です。ここは新日鉄など大きな工場がたくさんあって、そのために、川は全部紫色になるというぐらい汚れてしまいました。川の名前はもともと紫川ではあったのですが。それを20年間、一生懸命苦労して、ずいぶん公害がなくなったのです。その川に新しい橋を次々架けていくわけですが、その時に、橋も文化的にして欲しいということで、市から私が設計を依頼されてやった仕事があります。私は、夜は電気の照明ではなく、プロパンガスをバチバチと燃やしてたいまつのようにして橋を照らすことにしました。初め、消防局がものすごく反対しましたが、市の熱意で押し切られて実現しました。かつてここで鵜飼をやっていたので、形は鵜飼のイメージとしました。
 橋にはすごいヒマワリが描かれています。北九州市の「市の花」がヒマワリですから、それをかたどったのですが、上から見ると、少し変な形をしています。下から、つまり目の高さから見ると、ほぼヒマワリの形に見えるのです。デザインは福田繁雄さんです。日本有数のデザイナーで、世界的にもその名が知られています。
 それから、橋には風の彫刻みたいなものもあります。このデザインは、世界的に有名な新宮進さんのものです。アメリカでも、フランスでも、イタリアでも、今や世界の風の彫刻は新宮さんの独壇場です。その彼の最大の作品が、この北九州市の紫川の「風の橋」として実現しました。建設省は当初、反対しました。川の上にこんな彫刻を建てるなんて。しかし、とうとう、これも市の熱意でできてしまいました。
 「海の橋」では、普通は自動車がいると海が見えなくなってしまいますので、歩道を車道よりも2mほど持ち上げて、海が歩道からでも見えるようにしました。車道と歩道を分離してしまったのです。こういったいろいろな変わった実験をしたために、北九州市は、今や「橋の町」ということになっています。
 次に、倉敷です。瀬戸大橋が架かった時に「橋の博物館」を造ってください、と頼まれました。そこで私は、「橋の博物館」ということで、日本の太鼓橋の中に博物館の施設を入れたわけです。昼間は、ガラスに周りの町並みが反射して映りますが、夜になると、中が透けて見えるのです。そしてこの太鼓橋の上は階段で上がって行けます。1日中、夜でも昼でも、いつでも勝手に市民が上がれるわけです。この上に上がると海が見えます。それで市民の憩いの場になるのです。つまり博物館を、太鼓橋のように上がるという体験ができるのです。
 ところで、文化には2通りあります。都市に文化が必要だという最初の考え方は、東京と同じように、地方も東京と同じような水準にもっていきたい、東京に追いつこうという文化です。これはカルチュラル・ミニマムと当初言われまして、1972年(昭和47年)の大阪府の文化振興研究会の時に、その問題が出されました。それから以後1970年代に、文化行政というのが全国津々浦々に広がりました。
 ところが1979年(昭和54年)に、経済企画庁の外郭団体の総合研究開発機構が、さらにその上をいく、東京に追いつくだけではなくて、東京を追い越す文化を地方がやろう、日本にも無いものをやろう、場合によっては、世界にも無いものをやろう、ということを提唱し、これをカルチュラル・マキシマムと名付けました。それが世界都市です。東京のレベルに追いつく、それも大変結構なことですが、それよりも世界にないものを作ろう。そうすると、世界の人が見に来てくださるだろうということです。
 そういうことで、今、全国でミュージアム・ブームです。世界都市を目指して、ユニークなものをつくりましょうということです。例えば、滋賀県湖東(ことう)町に、この町の出身で南極越冬隊長を務められた西堀栄三郎さんを記念して、日本中の探検家50人ほどを歴史的に顕彰する「探検の殿堂」というミュージアムが造られました。ここでは、その探検家たちの業績が上に飾られていますが、ユニークなのは、この1階の部分が南極体験ゾーンとなっており、1年中-25℃なのです。そこには、防寒具をつけていないと、とても入って行けないわけです。それで、町のミュージアムとしては異例なほどに、いつも待たないと入れないというくらい人気のあるミュージアムになってしまいました。「-25℃って、どんなだろう。」といって体験をすることが人気を呼んでいるわけです。防寒具を貸してくれますが、女の人は、ミニスカートなどでは下から冷たい氷の風が入って来て、10分もいたら凍死すると言われるぐらいです。体感、体験するということがとても重要だと思います。
 宮城県の中新田(なかしんでん)町には、バッハホールができました。バッハという音楽家の専用の音楽ホールです。世界にそんなものはないわけです。それだけでも大変に有名になりました。
 次に、奈良県生駒(いこま)市にある展示施設を持った国際会議場、これも私の手がけたものです。前の花壇のある広場には、ファーブルをはじめとする科学者の少年時代のブロンズ像が十数体作られています。これは、この施設が京阪の科学技術施設を集めた関西文化学術研究都市にあるからですが、ファーブル以外にも、コペルニクス、アインシュタイン、ダーウィン、ニュートン、野口英世やマダム・キューリーの少年少女時代のブロンズ像などもあります。このブロンズ像は見る位置、立つ位置によってどうにでも動くわけです。こういうことをしたのは、今まで彫刻といったら、触ってはいけませんということでしたが、これは触ってください、一緒に並んで写真を撮ってくださいということなのです。親しみを持って見る、聞くだけではなくて、実際に触ってみるということで、それを積極的にやろうじゃないかということです。
 このように、これからのミュージアムは世界一の内容を持つと同時に、やはり魅力的なものを持たないと人が来てくれませんので、体験型のミュージアムを造るしかないだろうと思います。
 最近、和歌山県美里(みさと)町というところで、105mmという一般公開用としては世界最大口径の望遠鏡を持つ天文台を造りました。これがオープンすると、子供も、大人も、星空を眺めたいと、毎夜、毎夜、天文台に人が押しかけるので、人口3,000人にも満たない小さな町が、本当にうれしい悲鳴をあげるということになりました。
 いろいろな例をあげましたが、要するにカルチュラル・マキシマムということを考える必要があるということです。と同時に、それは体験型ミュージアムであり、そうすることによって、たくさんの人が来るようになり、世界の財産になるということです。
 数年前に、世界遺産として、奈良の法隆寺、他に「姫路城」が指定された時、日本中がびっくりしました。なぜ、姫路城なのか。つまり奈良の法隆寺なら分かるわけです。ところが姫路城ということで「世界遺産になったら、もう第三次世界大戦が起きて欲しくないけれども、起きたとしても、姫路は生き残るなあ。」と、皆言ったわけです。
 だから、今や優れた文化を持てば、もしも万一、そういう世界大戦になっても生き残るわけです。もちろんそんな不幸なことはかないませんけれども。しかし、戦争という最も悲惨な時にも、文化は厳然たる力を発揮する、それほど文化というのは大きなものだ、ということであります。