データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

わがふるさとと愛媛学Ⅳ ~平成8年度 愛媛学セミナー集録~

◇宇和の里を訪ねて

矢野
 ありがとうございました。
 「小さな町でも文化があれば、世界都市になりうる。」あるいは「文化は地域を救う。」という、非常に心強いフレーズをいただきました。
 ただ、小さな町には、共同体の人たち同士で分かり合っている文化、形になっていない生活の中の文化が一杯散りばめられているが、ほとんどが、それに気づかずに過ごしているのではないかと思います。この見えない文化と、見えている文化を核にして、これからの宇和の町を、どういうふうに創造していけば、小さな文化世界都市になるかといった時に、やはり地域掘り下げというのが、大事になってくると思います。これが後半の地元の方の生活の中で培われた御発表でまた明らかになってくると思います。
 時間の都合でそのことはひとまずおいておき、私はこの宇和の里を訪ねて感じたことを述べさせていただいて、それを今後の宇和の文化都市づくりに、どういうふうにつないでいけるかなという中間的なお話をしてみたいと思います。
 まず、中町を歩き、開明学校のところまで上がりました。私は前ばっかり見ないで、意地が悪いから、すぐ後ろを振り返るところがあるのです。横向いたり、上向いたり、キョロキョロして、ものを一つの視点から見ないのです。やはりその石畳を上がって振り返ってみました。そうすると、教会があるのです。あれはすごく宇和の文化イメージというのを高めているというか、何か一つの雰囲気をかもしているなあと思いました。それで前に目をやりますと、民具館があるのです。この民具館は、屋根がトタンでずっと広がっているのです。せっかく宇和の町並み、明治の町並みが残るといった時に、トタンがむきだしでダダダーッとものすごい面積を占めているので、これはどうにかならないかと思いました。あれが直りますと、すごく宇和の町並みにスケール感ができ、ボリューム感が増すのではないかなとも思いました。その民具館に入ってみますと、いろいろな素晴らしい宇和町の文化がびっしり埋まっているのです。ところが私の感じとしては、そこは収蔵庫であって、展示場ではないのです。これをうまく整理して、皆に分類して見せてあげられるようにして、町並みを生かして再生できれば、すごいスケール感のある、先程上田先生が言われたミュージアムにもつながっていくのではないかなと思いました。
 そのあと、県歴史文化博物館に上がりましたが、たいへん素晴らしい博物館なので、感動しました。と同時に、せっかくこれだけのものができたのだから、この博物館と宇和の町並みとのつなぎがうまくできたらなという感じがしました。
 博物館に車を止めて、遊歩道を歩こうと探したのですが、分からなかったのです。やっと分かって遊歩道を下り、町を歩き、また駐車場まで上がって帰ってきました。この坂が大変なのです。子供は元気だから上がるかもしれないけれども、たぶんお年寄りは、遊歩道が歩けないのではないかなと思いました。それで思い付いたのですが、この博物館からトンネルを掘り、そこからエスカレーターか何かで、あの先哲記念館のところまで歩くと、そこには明治の町並みや、江戸期の町並みの残る文化の里宇和があったという感じで入っていけると思うのです。そして本物の町並みが広がっており、この町を訪れた人は、この文化豊かな雰囲気を見て帰っていけるのではないかなという感じがしました。「トンネルを抜けるとそこは文化の里だった。」という具合です。