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わがふるさとと愛媛学Ⅳ ~平成8年度 愛媛学セミナー集録~

◇宇和文化の里の誇り

 そういうことで、宇和町はいろいろな人材をたくさん生んできました。教育文化では、白井雨山(しらいうざん)や末光績(いさお)など、立派な人を生んでおりますし、政治家いわゆる国会議員も輩出しまして、牧野純蔵、清水静十郎、古谷久綱、本多真喜雄といった人たちを1890年から1937年まで連続して国会へ、この町から送り出しているわけです。産業経済でも、清水長十郎、清水甚左衛門、清水清十郎、末光千代太郎、森川智徳(ちとく)など、中町が生んだ人材というのは、非常に多くいます。そして、あの耕地整理一つ見ても、やはり教育の力というものを感じます。
 私は、宇和文化の里の誇りは、南伊予のふるさと、宇和が生み出した歴史的遺産としての数々の文化財の豊富さのみにあるのではなく、宇和の歴史的、教育的風土の中で、里人の間に連綿として生き続けてきた先人の遺産を継承し発展させようという心意気にあると思うのです。言い換えると、昔の宇和の里人たちがその時代時代を精一杯に生きたあかしとしての遺産を、あとに続く私たち里人が、どう受け止め、どう受け継いでいくかにあると思うのです。そのことが、文化の値打ちをつくり、文化財として後世に生き続けさせるのではないでしょうか。松葉城跡とか、中町の町並みや申義堂、開明学校などの保存運動があったからこそ、今日の宇和文化の里が存在しえたのだと思うのです。幕末、明治、大正、昭和、平成の教育史資料や学校建築が、そのまま現に残っているということの素晴らしさ、その意義を、我々は今一度かみしめてみないといけないのではないでしょうか。