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わがふるさとと愛媛学Ⅳ ~平成8年度 愛媛学セミナー集録~

◇地域社会の「文化」とは

 こんにちは。神崎です。よろしくお願いいたします。
 今、御紹介いただきましたように、私は民俗学という学問に親しんでおります。民俗学についての定義はいろいろあるのですが、私は、「クセ」というふうに簡単に考えております。個人ですとただのクセですが、ある集団社会の人々の大半が、生活について同じようなクセを出すことがあるのです。これには、目に見えるものもありますし、そうでないものもあるのですが、このクセを私は、民俗学の対象である「文化」だと思っております。
 私たち日本人は、他の民族と比べて、際立ってさまざまなクセをもっておりますが、例えば、その一つに、「居眠り」というのがあります。身辺を御覧になれば、よくお分かりでしょう。会議で10人寄れば、だいたい一人くらい居眠りしている。それから大学で講義してみますと、学生たち100人くらいだと、もう3割は居眠りします。これは、「居眠り文化」といいまして、民俗学の中で研究の対象になりうるのです。ただし、まだ誰も研究したことはありませんが。
 居眠りをなぜするかといいますと、これは人体の骨格構造に関係があるのだそうです。私は専門家ではありませんが、日本では形質人類学というのが、ずいぶん進んでおります。たとえば、髪の毛1本から、その人の栄養状態や性別まで分かりうる。そうしたことを研究するのが形質人類学です。この研究者たちにいわせますと、我々日本民族の骨格構成は、際立って頭蓋(ずがい)骨が大きくて、しかも骨が重いのです。しかし、それに比べて、これを支える頸椎(けいつい)、背骨のあたりの骨がきゃしゃなのです。そうするとどういうことになるかといいますと、少し疲れてくると、この重い頭を支えきれなくなるのです。猫背になって、前かがみになります。すると、この頸椎の中を通っている神経系が延ばされますね。延ばされると眠くなる。というように、日本人は骨格構成からくる「居眠り」というクセをもっております。ですから、会議や授業中に眠るという、諸外国の人たちにとっては、まことにおかしなそのクセが、日本文化としてちゃんと裏づけられるわけです。
 さて、集団社会のクセを1つの文化ととらえますと、愛媛学というのも、私がいうところの民俗学と同じような方向をもっていると思います。つまり、先程4人の方々が、非常に密度の高い御報告をなさいました。それぞれの形で、それぞれのアプローチで、それぞれの地方のクセをお話いただいたわけであります。それで、私は、その中で出ていない1つの切り口をあえてこれからお話しようと思います。それは何かというと、1つの地域のそうしたクセを探る方法として、ことわざを大事にしてみてはどうかということです。ことわざは、その土地でくらすための原理原則を伝える、そういう役割をもっている場合が多いように思われます。
 昔は、文字を日常生活に用いておりません。古文書というのが地域社会に出て来るのが、多くは江戸時代の元禄年間のあたりからです。これが近世文書にあたります。ですから、「中世文書がない。」とお騒ぎになるのは当たり前であります。政治側、つまり体制側の公文書や文学の世界のものは古くからありました。しかし、地方の、しかもくらしの中へ立ち入っての書き物というのは、それほど古い歴史をもっておりません。しかも、その書き物は、何か騒動があった時に書くのであり、平生の、いわゆる日常茶飯のくらしにおけるいろいろなパターンというのは、文字に現れにくいのです。我々だってそうです。今朝何時に起きて、何を食べてというのは、それはよほどの人でないと記録をしていないでしょう。