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わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇陸に残る水軍史跡

 次に、宮窪の本町の方へ目を移してみたいと思います。本町の方でも、いろいろありますが、第1番に、山野(さんの)にあります古い城跡。これは菅原池のそばです。
 2番目は「ジョウ山」という山です。このジョウ山というのは、引地のすぐ上手にありますが、城という字は「ジョウ」とも読みますので、「城山」と書いて、ジョウ山、ジョウ山と言われているのではないかと思います。
 第3番目が宝篋印塔(ほうきょういんとう)ですが、これは証明(しょうみょう)寺の境内と海南(かいなん)寺の裏手に、見たところではほぼ同じような形の立派な宝篋印塔が二つあります。これもやはり村上水軍当時のものではないかというふうに思っております。
 4番目が幸賀(こうが)屋敷跡です。これは御存じのように、現在の宮窪小学校のすぐ裏手の、元の診療所があったところで、「幸賀屋敷跡」という、矢野勝明先生が書かれた説明板の立っているところです。
 5番目が陸の証明寺です。これは村上水軍の菩提寺であったという説があります。6番目が的場跡です。的場跡は、現在の宮窪幼稚園の東隣にあり、柑橘の畑になっているところです。
 最後に、五輪の塔や一石五輪の塔の一群です。五輪の塔と言うのは、皆さんよくお見かけだと思いますが、丸や四角や、それから橋の欄干(らんかん)にあります宝珠(ほうしゅ)の形をした、とがった石を5つ積み重ねたものです。また、一石五輪の塔というのは、一つの石にこの五輪の塔の形を刻んだものです。この五輪の塔及び一石五輪の塔について、私は最近、向側(むかいがわ)だけちょっと調べてみました。すると土生(はぶ)から土井野(どいの)、脇田(わきだ)、法金(のりかね)、岡にかけまして、ずいぶんたくさんの五輪の塔や一石五輪の塔があります。ですが、現状は、ほとんどが丸い石を二つ重ねたり、丸と四角い石を重ねたりしたもので、五つ重なっている五輪の塔はほとんど見かけませんでした。これらの五輪の塔は、長い年月の間、各家で地主さんとして祀(まつ)られてきたようです。地主さんというのは、その屋敷を守ってくれる神様だということでして、お墓とか仏さんに祀るシャシャキの木などをお祀りして各家々で大切に守っておられます。
 向側だけで、五輪の塔が、数えてみますと55。それから一石五輪の塔が4つ。それから宝篋印塔、これは証明寺や海南寺のとは違い、ずいぶん小型ですが、2つ。合計61ありました。私の記憶に残っているのでは、波止の方や、中村の方や、陸の側の山野の方にかけて、まだずいぶんとありますから、全町的に調べますと、大方7、80にもなるのではなかろうかと、そんな感じがしております。
 五輪の塔に関連しますが、町内には、土生の千光寺さん、土井野の焼山(しょうさん)寺、それから向側の公園があります天王(てんのう)墓地、さらに祝詞場(のりとば)、寺山など、いくつもの墓所があります。この墓所で一番古いお墓の年代は、いつごろだろうかと調べたことがあります。その結果では、一番古い年号は、元禄(1688~1704年)のようです。元禄と言いますと、私たちの記憶に最もピンと来るのは、例の赤穂浪士の討ち入りですが、この元禄ころから現在のようなお墓を作ることが始まったのだなあと理解をしております。
 では、それより前は、どのようにしていたのでしょうか。もし、人が亡くなられたら、ただ簡単な土饅頭(どまんじゅう)のような祀り方をしていたのでしょうか。よくは分かりませんが、先程紹介しましたあの一つや二つ重なっている五輪の塔や一石五輪の塔が、江戸時代より前の、室町、安土(あづち)桃山、そういう時代にこの宮窪が非常に栄えた文化を持っており、宮窪にこんな時代があったのですよと、語りかけてくれているような気がします。
 次に、宮窪小学校の後ろにあります幸賀屋敷跡についてですが、あそこに立ってみると、ちょっと小高くなっておりまして、宮窪の能島、鯛崎島、鵜島はむろんですが、戸代鼻の方から、ずっと向こうの燧灘までも一望におさめられます。また、宮窪幼稚園の東にありました的場とも非常に近い距離にあります。そうしますと、今の幸賀屋敷あたりは、水軍の武将の館の位置としては、地形的にも良い場所だなと、こういうふうな感じがいたします。
 話は変わりますが、以前には、山野の先程言いました古い城跡のあたりには、これはずいぶん古い石垣だなあというものや、古い井戸がありましたが、現在は、その石垣も古い井戸も、もう見ることができなくなっております。ですから、これからは、宮窪のこうした古い遺跡を、発掘というような手だてを通じて、なんとか確かな証跡をつかみますと、宮窪の歴史を考える上で非常にプラスになるのではないかと、日ごろから考えている次第です。ただ、現在のように状況が大きく変わってきますと、発掘というようなことは、現実の場面では非常に難しくなってくるのではないかと、そういうふうな気もします。