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わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇森は学校

 私は、多数のボランティアスタッフと共に3年前から本格的に自然学校「森の学校」に取り組んでいます。この「森の学校」も年をおうごとに参加者が増えて、今年は現在450名近く受け入れています。
 私は、「『森の学校』では、どんな事をするのですか。」という質問をよく受けるのですが、環境保全のために自ら考え行動に移せる人たちを育てようとする啓発活動の作業と思っています。先程、牧野先生や石川先生から、森林・巨樹と人とのかかわりについて詳しく話していただき、忘れかけていた何かを、思い出させてもらったような気がしています。
 現在では耳慣れた環境教育という言葉も、先程の「巨樹」と言う言葉の由来と同じように、環境と教育とがくっついてできた真新しい熟語なのです。日本においては、公害問題に端を発していると言っても過言ではないと思います。しかし、西欧諸国においては約200年前から、つまり産業革命後に、すでに「環境教育」と共通する言葉が使われていたようです。
 また、教育という言葉の解釈において、私たち「森の学校」では、「教」を「共」と理解しており、「環境教育」を「環境共育」と置き換えて使うこともあります。共に育つ、共に育(はぐく)む、それは広い意味で人・事・物とのかかわりを、教える、教わるという関係でなく、共に学びあおうという関係にするものです。森の中での体験を通して、参加者と森の案内人が楽しみながら学びあう、自然体験学習法をとっています。都会の造られた公園では味わえない雰囲気が森の中にはたくさんあります。倒木のコケの中から、いろんな種類の芽が伸び出している場所などは、解説はたいして必要ありません。参加者の自由な発想・想像をかき立てたり、目を見張る場所が、そこここに点在しています。岩清水を両手に受けて飲むということなども、どこででもできることではないでしょう。
 そして、参加者の年齢・人数・季節によってオリジナルなプログラムを小田深山で展開しています。