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わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇愛媛学の趣旨

堀内
 御紹介いただきました堀内です。ただいまから、愛媛学セミナー「伝統文化が息づくふるさと・広見」を始めたいと思います。
 実は私、昨年(平成8年)、この鬼北が生んだ俳人芝不器男(しばふきお)について研究した「峡(かい)のまれびと」という本を出版しました。この本の前半は不器男を育(はぐく)んだ鬼北の風土を、俳人としての形成についての関連で考え、後半は俳句作品を中心に論考しました。本日のコーディネーターの話がありました時に、そうしたことで声をかけていただいたのかなと思いました。
 しかし、それだけのことですから、この役を十分に務めることができるかどうか、大変おぼつきません。私も、今日は共に学ばせていただくということで、どうかよろしくお願いしたいと思います。
 私は、日ごろから宮本常一という人を尊敬して、その業績に大いに関心を持ち続けてきました。日本列島の白地図があったとして、その上にこの人の足跡を赤いインクで記していったら、列島全部が真っ赤になると言われるほど全国を歩いて、そのくらしや文化を調べた人なのです。
 この人の最晩年、最後のお弟子さんとして調査に同行した香月洋一郎さんという研究者の方からお話を伺ったことがあります。例えば、村の景観を記録するのに、写真を撮りますけれども、どんなに些細(ささい)なものでもおろそかにしないのです。田んぼの境の石垣の積み方の違いや、モグラの死骸(しがい)が転がっていれば、モグラの害と関連して考えるとかいったふうなのです。一つの村落に入って、2、3日歩いて、あっと思ったこととか、おやっと思ったこと、そういうことを36枚撮りのフィルムで15本ぐらいシャッターを押すのだそうです。こういった具体的で身近な物から学ぶ基本的姿勢を香月さんは、宮本先生を見て学んだそうです。
 宮本常一自身も、例えば「村に入って、干してある洗濯物から、その村のいろいろなものが見えてきた。」ということを言っています。どういうことかというと、「昭和35年(1960年)ころまでは、まだ洗濯物は木綿が多くて、それを手縫いしたものが多かったのだが、その後、急速に既製品が増えてきて、地方的な特色が消えていった。」ということなのです。こういった話をお聞きすると、小さな物だとか、小さなことだとか、そういうものを見ることから、集落、村落のくらしであるとか、歴史だとか、文化だとか風土と言ったことを考えるということが始まっているのだなということが分かるのです。
 今日のセミナーは愛媛学であるわけですが、もちろん足元を見つめるという意味で、鬼北学でもあれば、広見学でもあるということです。
 今日のチラシにもありましたけれども、楽しむという字も入っていますので、そういうことを楽しみながら取り組む、それが愛媛学の趣旨ではないかなと思います。ただ、足元を見つめると言いましても、視点や視野、普遍的な広がりというものが欠かせませんので、地域の外へ、あるいは地域の外からの視線というものが大事になってきます。また過去だとか現在、未来といった時間の軸を見据えるという広がりも必要です。そうした普遍性が愛媛学というものを支えていくのだと思います。
 そうした意味からも、徳島から来られた浅香先生のお話を中心としたこの対談講演が、皆さんにとって身近な地域、広見について、今まで以上の興味、関心を引き出すきっかけになることのお役に立てればと思います。それでは浅香先生、よろしくお願いいたします。