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わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇郷土を見つめる目-郷土芸能史研究のすすめ

浅香
 皆さん、こんにちは。ただいま御紹介いただきました浅香です。私は阿波の徳島に生まれ育ったものですから、ここの会場に展示されております木偶(でこ)人形、しかも徳島の人形師(人形細工師)天狗久(てんぐひさ)などがつくった人形を見ますと、ちょうど娘の嫁ぎ先に来たような、そんな感慨を覚えます。
 徳島県出身の小説家で瀬戸内寂聴という人がおりますが、その方が『文楽入門』という本に、「若い世代に文楽の愉(たの)しさを」という巻頭エッセイを書いておられます。その中で、「私は人形が動きにつれて、泣いたり笑ったり怒ったりするのが不思議で、いつも一番前の席で見上げていた。見物は人形の動きにつれて、いつの間にか首を振ったり、目を拭(ふ)いたりしている。口三味線も浄瑠璃も、たいてい見物の中から声が出て、人形回しは、ただ人形を遣っていればよくなる。当時の徳島では、たいていの人が浄瑠璃を習っていた。幼い私は、その人形によって人生に哀歓のあること、恋があること、人は思いのままには生きられない運命というものを、それぞれに持っていることを教えられた。私の文学の芽は浄瑠璃と人形の所作に兆したのかもしれない。」という記述があります。
 私も現在演劇にかかわっておるわけですけれども、それは、幼い時に人形浄瑠璃が農村舞台などで上演されるのを見まして、そういう物への興味関心を抱いたことに根ざしているのではないか、ということをつくづく思います。
 しかし、そうした日本の伝統文化は、かつてどうだったのでしょうか。明治維新におきましては、富国強兵、欧化主義によって、西洋に追いつけ追い越せという政策になってきました。日本の伝統文化である歌舞音曲(かぶおんぎょく)は下賤(せん)なものとして否定されてきました。富国強兵で、兵隊さんを鼓舞するのに三味線というわけにはいきません。これはやはりトランペットとかラッパということになります。そういうこともあって、西洋の音楽だとか、あるいはそういった西洋文化を重んじるようなことになります。例えば、日本の音楽教育は西洋の音楽で始まったわけです。
 それからもう一つは、中央集権です。中央集権によって、地方を否定してきたのです。たとえば言葉一つとりましても、「標準語を使いなさい。方言はいけません。」というような教育をしてきました。そのために日本人は、地域に根づいていた伝統文化の価値観を低下させてしまったのです。言葉を換えれば、精神性に根ざした世界を壊してしまったことになります。自分がこれまで育った所で、何を誇りに持ち、生きていくかということが、ないがしろにされていったということになるのではないかと思うのです。
 かつて、私たちは、日常の生活をしていくのにも、多少の技術がいったわけです。例えば、御飯を炊くにしても、はじめチョロチョロ、中パッパといった技術が必要ですし、洗濯の仕方や掃除の仕方においても、技術を伴ったわけです。ところが今は、電気で動く機械が、それらをしてくれるようになってしまいました。そうすると、便利にはなりましたけれども、人間の工夫という大切なものが失われてしまったのではないかと思います。
 また、かつては、どんな小さな地域にも、ささやかな名手がいました。時計を直してくれる名人だとか、あるいは下駄の鼻緒をつけてくれる名人といった人たちです。そういうささやかな名手が、家庭にも、地域にも生きていて、その集合体が町だとか地域であったわけです。ですから、その町や地域に住む人々は、そのささやかではありますけれども、それぞれ個性的な表情と技を持っており、そのために、その地域で非常に大切な人とされました。ところが、現実をみると文明の進歩というものが、そうしたささやかな個性を奪ってしまったというように考えられないことはないですね。文明というものは、人間を均質化してしまうというところがあります。確かに文明の発達により生活は便利になりましたので、私たちは、文明の発達が人間の幸せにつながるのだと思っていたわけですけれども、最近では、それが必ず幸せを保障するのだということに対して、疑いを持つようになって来ているのです。
 文明が発達して、人間が均質化してきますと、その一方で個性を求める声が強くなってきています。その傾向は、世界全体で、民族や文化や宗教といったような非文明的なものに、自分の心のより所とするものを求める現象に現れてきています。民族間における戦争にもでています。宗教戦争など、日本人には理解しがたいものですが、それもやはり自分の心のより所とするものを求める現象であるわけです。
 日本でも、文化として歌舞伎や文楽、あるいは伝統的なものへの関心が、このところ、非常に高まってきました。このセミナーも、その一つの現れだと思います。そういう芸能に対する人気の高さというのは、異常なくらいになってきています。ということは、やはり心のより所とするものを追い求めてきているのです。それが郷土を見つめる目、そして郷土芸能史を研究することにつながっていくのだろうと思うのです。
 徳島でも、こうした郷土に対しての講座が数多く開かれていますけれども、参加者は、年配の方が多いです。年配になればなるほど、自分が生まれ、そしてやがては死んでゆくであろうこの地球のこの地域で、自分は何をより所にして生き、これからも生きていくのだろうかということを、追い求めていくものだろうと思います。郷土を見つめる目というのは、つまりは自己再発見であると思います。
 徳島の郷土芸能史研究としての人形浄瑠璃研究は、今まで芸談的な記述が大半でした。芸能が芸能として機能している時は、芸談でも面白く、それなりに意味もあったと思いますが、ほとんどの人が過去の疎遠なものと感じ始めている今、人形浄瑠璃を歴史として位置づける研究が求められています。最初の一歩から明らかにするために少ない資料を掘り起こし、科学的でわかりやすい浄瑠璃研究が進められています。