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わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇郷土の知恵やこころの伝承

堀内
 郷土の知恵とか郷土のこころの伝承ということで、少しお話をしようと思います。
 先程申し上げました宮本常一の「土佐源氏」というお話を、皆さん御存じでしょうか。これは宮本常一の名前を一躍高めることになった話なのです。それは、高知の檮原(ゆすはら)の橋の下に小屋掛けをしていた山本槌造(つちぞう)という人の生涯を、主に女性遍歴にテーマをしぼってまとめたもので、土佐源氏と言うのは、いうまでもありませんが、「源氏物語」の源氏にあやかっているわけです。宮本常一が話を聞き出した槌造という人は、実は愛媛県の人なのです。元治元年(1864年)生まれですから、100年ちょっと前なのですけれども、伊予国惣川(そうがわ)村、今の東宇和郡野村町の生まれなのです。この「土佐源氏」を読んでみると、話の内容も、予土国境で伊予と土佐と両方が舞台になっていまして、どちらかと言えば愛媛県のほうが多いような気がいたしまして、土佐源氏ではなくて、伊予源氏と言ってもいいような内容なのです。
 この「土佐源氏」を、俳優の坂本長利さんという方が、一人芝居にして全国を公演して回って、非常に人気があります。虚実取り混ぜて語られた土佐源氏というものも、宮本常一が話を聞き出していなければ、その山本槌造の死と共に闇の中に消えてしまったはずなのです。つまり、ある聴き手がいて、それを後世に伝えるという出会い、それが大切なのではないかなと思います。
 宮本常一は、博物館などをつくる時にも、そのつくるまでのプロセスが大事なのだということを言っているのです。それはどういうことかと言うと、古い民具が家のどこにあるか、それを一番良く知っているのは主婦なのです。ところが彼女たちはその使い方を知らない。知っているのは老人なのです。でも、老人にはそれを運搬する体力が残っていない。だから、若者に運んでもらわないといけない。それで老いも若きも、男も女も力を結集して、そういうものを発見して博物館に納めるというふうな過程が大切だということを言っているのです。
 そういうことを立ち上げていく一つの例として、佐渡の太鼓があります。宮本常一は、新潟県の佐渡島で、そこの郷土芸能である和太鼓を若者たちに伝承させて、鬼太鼓(おんでこ)座という太鼓の一座を育てました。今は、鼓童(こどう)という名前に変わって続いていますけれど、日本だけでなく世界各地へ公演に出掛けています。
 これは郷土芸能の復活ということを越えて、世界各地の民族音楽だとか、民族芸能と交流しまして、それを佐渡に一堂に集めて、アースセレブレーションという国際芸術祭を開催したりするほどまでに成長しているのです。メンバー40人ほどで、鼓童村で皆が合宿しているのですけれども、佐渡出身の人は一人で、あとは全国から集まって来ているのです。そういう古いものを生かしながらの新しい試みというのは、大事だと思います。
 これは私の勝手な意見なのですが、鬼北文楽も、人形浄瑠璃の世界だけではなくて、例えば今年(平成9年)の夏、ここ広見町で人形劇団プークが公演をしたと思いますけれども、あのプークという人形劇団は世界各地の人形劇と公演をして交流をしていますので、そういう劇団の動きと連動したり交流したりするというのも、一つの地域振興につながるのではないかと思います。
 先程浅香先生にお聞きしましたら、人形浄瑠璃の新作をつくるというお話でしたから、例えば、さっきの「土佐源氏」を人形浄瑠璃に書き下ろして、新しい人形劇として鬼北文楽独自の出し物にするといった工夫の余地などもあるのではないかなと思います。