データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇地域に根ざして

 私の家は醤油(しょうゆ)、味噌(みそ)、ユズ製品、その他の調味料の醸造販売をしております。何か、今日のテーマとは全然違うような感じがしておりますが、伝統を守るということでは、食文化の分野で日本独特の伝統的調味料に携わっているという意味で、何か相通じるものがあるのではないかと思っております。
 発酵や醸造の技術は、微生物を相手に、日夜、それこそ気の遠くなるような時間をかけて戦ってつくりますが、そのようなつくり手の思いがにじみ出まして、食品として皆さんに喜んでいただけるものができるのではないかと思っております。
 鬼北文楽も、我が子のように根気よく手間暇かけて育てておられますが、先程菊澤先生のお話にもありましたように、天狗久の頭(かしら)に魅せられた熱い思いと、伝統を重んじ、それをずっと守ってこられた山本さんを中心とした泉地区の皆様の浄瑠璃に対する思いや夢が一体となって、昭和61年(1986年)に鬼北文楽が蘇ったことは、とても素晴らしいことだと思います。何をするにしても、人の熱き思いがあればこそ出来上がるし、成功もするのだという、本当によい見本だと思っております。
 私も、昭和44年(1969年)から現在の仕事に携わっておりますが、昭和54年ころから1軒あたりの消費量が減少してきており、よい醤油づくりだけでは将来に不安を感じ始めておりました。主人といろいろ話し合いながら悩んでいた時期、主人が外交で回っております時に、地元にUターンしてきてユズの生産を始められた人から、「高田さん、ユズ酢を搾っても、余ってどうしようもないのだけれど、使ってもらえないだろうか。」と頼まれて、ユズ酢の入った1升瓶を2本もらって帰ったのがユズとの出会いで、ユズ製品をつくるきっかけとなりました。
 商品は試行錯誤しながらも出来上がりましたが、他に市販されていない商品ですから、とても販売が大変でした。ちょうどそのころから、地場産業の育成に、広見町や商工会、県が一体となって力を入れはじめ、各地で物産市や県産品祭り、水産祭りといったイベントが開かれるようになり、それらに商品を出展させていただくようになりました。イベントでは、試飲や試食をしたりして、納得して買っていただく方法をとりました。
 また一方では、会社の名前も商品も知られていませんので、知っていただくことが一番と考え、そのアプローチの仕方として、新聞広告とチラシを年2回、夏と冬に入れました。愛媛県全体のアプローチとしては、テレビのコマーシャルを昼の時間、ほんの15秒間ですが、入れることにしました。そのコマーシャルで鬼北文楽を紹介したのですが、このことについては、後ほどもう少し詳しくお話したいと思います。
 私たち商人が生きてゆくためには、地域の人たちに愛され、かわいがっていただかないと、商売としての伸びは考えられません。と申しますのも、私たちの商品を、おいしかったから都会にいる息子や娘、あるいはお世話になった人に送りたいと言って送っていただきますと、先方様から口コミなどで広がり、おいしかったからと言って、返り注文が入ってきます。少しずつですが、そういった輪が広がっていきました。