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わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇「惣川あいらんど紀行」

 東京から戻ってきた時期に、改めて惣川地域を自分の足であちこちと歩いてみました。そうしましたら、我がふるさとは、山村ではありますけれども、自然資源や文化資源が大変豊かなところだということを再発見することができました。そして、このふるさとで、少し恩返しというか、ふるさとの活性化につながるようなことができないかなと考えました。惣川には、土居家以外にも茅(かや)葺きの民家が多く残っているのですが、それらがどんどん廃屋になっていっているわけです。これが東京近郊などでしたら、昭和40年代後半あたりから、山奥の茅葺きの家に芸術家などが都心から引っ越してアトリエを作ったりするなど、非常に活発に使われるようになっておりました。私もそういうのを見ておりましたので、「じゃあ、惣川の廃屋になっている茅葺き民家を活用するようなことを一つやってみよう。」と思いつきまして、若者たちを7人ばかり集めました。それで1軒の家を捜し当て、都市との交流の場所にしようと始めたわけです。ただそこは廃屋でしたので、人が住まなくなって10年近くたっていました。ですから、床が落ちているなど、ずいぶん荒れておりました。また、トイレは板張りではありません。竹の座になっているのです。ですから上から下が見えるわけです。つまり、典型的な山村の民家がそのまま残っていたわけなのですが、当然このままの状態では、交流の場所にはなりません。そこで、まず、その7人の仲間で、掃除や修理から始めました。だいたい、朝7時から夜11時くらいまで作業をします。その後は、お酒が入るわけです。こういう、仲間と一緒にお酒を飲むという楽しみもあるわけです。でも新しいことをやるということは大変で、これに2か月ほどかかりました。すると、「玉田というのは、学生時代も東京の方へずっといて、突然帰ってきたと思ったら、自分らを巻き込んでこんなことを始めた。これで、本当に都会から若い人が来てくれるのだろうか。」ということで、半信半疑な顔をし始めるわけです。だからそうなりますと、私も説得力がありませんので、私の友人に「君の嫁さんは若くて可愛いから、惣川にちょっと遊びに来ないか。」とか、「君の知り合いに、若い女の子はいないか。」と声をかけましたら、いたわけですよね。そして、掃除やなんかで皆が気持ちが迷っている時には、その女の子たちに来てもらって、その人たちから、こういう場所を直すということがいかに大事なことかを説明してもらったのです。
 結局約4か月かかりまして、廃屋がなんとか使えるような状態になりました。じゃあ今度は、いよいよ宣伝をしなくてはなりません。この段階で、新聞やテレビなど各方面に声をかけたところ、いろいろと取り上げられるようになりました。迷いながらこれに参加していた若者たちも、次第に茅葺きの家の大事さとか、あるいはそれを使って交流することの大切さとかいうことを、体で理解できるようになっていきました。