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わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇飯積神社の秋祭り

 さて、飯積神社は、倉稲魂命(うかのみたま)、足仲彦(たらしなかつひこ)天皇、息長足姫(おきながたらしひめ)尊、国魂愛比賣(くにたまえひめ)、十城別王(とおきわけのきみ)を御祭神といたしまして、下島山(しもしまやま)(西条市)に鎮座いたしております。この飯積神社の秋祭りは、五穀豊穣を願ってのお祭りでありまして、葛城宮司は、この祭りを神と人とが一緒になって楽しむ「神人和楽」と、常に力説をしているところです。
 また『西條誌』では、「飯積」とは、山の名前で、海の中の小島であるとされております。仲哀天皇や神功皇后が三韓征伐のおりに、この地に軍船をとめて飯積神社を訪れた時には、イチイの木がたくさん茂っており、その木で勺(しゃく)をつくりたもうたと記されています。
 飯積神社の氏子は、藩制時代には島山郷の下島山村・船屋村・半田村・大生院(おおじょういん)村・上島山村となっており西条藩と小松藩の領民でありましたが、現在は西条市と新居浜市の市民となっています。また、秋の大祭は、江戸時代の初めは太陰暦の9月15、16日でありましたが、明治時代の後半より太陽暦の11月2、3日となり、昭和21年(1946年)より、現在の10月16、17日に定まったのです。
 そして、お祭りは神様を祭るものでありますから、渡御行列は、鬼頭を先頭に、お道具、御神輿、神職、巫女、氏子総代が1列となっていくつかの神楽所を巡行していったようです。その神楽所には、本神楽所と半神楽所とお輿掛(こしか)け所の3通りの神楽所があったようで、現在もあります。
 本神楽所は、旧上島山村の室川(むろかわ)(現在の飯岡の四国電力の変電所の前)の川原と、大生院の渦井(うずい)川、旧半田村の八幡神社、旧下島山村の飯積神社で、半神楽所は、大谷・船屋・岸影であり、お輿掛け所は、所藪(ところやぶ)・栗林・早川・堀ノ内・大道(おおみち)・小野谷・戻川・池内です。